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攻撃したかったわけではなく、何をしたかったのか?(2/6)セクシー田中さん問題

「人の命」と「続作の完成」が永遠に失われる事になったセクシー田中さん事件。最後の瞬間でも諦めぬ第三者報告が必要と前回述べました。

ここでは原作者に寄り添って、最後の言葉の省略文を考えたいと思います。攻撃したかったわけではなく、何をしたかったのか?

まず「攻撃」という言葉を考えます。発端は、12月末の脚本家投稿で、「ドラマ制作の在り方、脚本家の存在意義について深く考えされられた」「この苦い経験」(TV局報告書p.38)との内容について、出版社報告書(p.51)は「原作者の我儘による脚本家変更」と読めると指摘し、原作者が作画ができないほど悩んだ事を明らかにしています。脚本家投稿が仄めかした「ドラマ制作の在り方」について、その事実が、出版社と相互確認した上で、約1ヶ月後に公開されたのが原作者投稿(1月26日)でした(出版社報告書p.54)。これが炎上し脚本家への誹謗中傷に繋がります。だから原作者には「個人攻撃となったことを詫びる」(出版社報告書p.55 )気持ちがあったでしょう。私の想像ですが、原作者が脚本家視点にたって「自分の事実公開も攻撃だった」とさえ考えたかもしれない。

むろん「攻撃」の意図は無かった。実は投稿を「アンサー」と原作者自身は表現しています(出版社報告書p.52)。これは12月の2度の脚本家投稿に答える「アンサー」なのですが、両社報告書を読み込むと、脚本家からの「アンサー」を全くもらえていなかった原作者の姿が見えてきます。

脚本家の安易な改変を原作者が修正する「ラリー」(TV局報告書p.62)は膨大でしたが、その修正意図について「理由を伺っても、納得のいくお返事はいただけない(1月26日の原作者投稿)」状態でした。修正だけではなく、以下に引用する「想い」さえも返事は無かった。

脚本家へ向けた想い〈修正について〉:「闇雲に原作を変えるな!と主張しているわけではなく、よりよいドラマになるように、自分を守るために、現段階でできるベストを尽くしているつもり」(出版社報告書p.35)。

しかし脚本家からの反応は無かった。事実、脚本家は修正指示さえ「読めない状態」で、TV局Pが「口頭で概要を伝えている」状態でした(出版社報告書p.34)。そこで、この〈修正について〉が伝達済みか担当編集は回答要求しますが、出版社報告書p.39によると、TV局Pは「回答した形跡はない」し、事後に脚本家は「一切聞かされていない」と回答しています。さらに、原作者は脚本家との対面を要求しましたが、出版社上司に「説得」され断念しています(12月7日 出版社報告書p.50)。両社が意思伝達を断絶したため、原作者視点では、自分の想いは伝わらず、相手の想いは聞けない状態でした。この視点に寄り添うと、脚本家投稿は原作者にとって「初めての聞く想い」だったと分かります。初めて意思疎通できるチャンスです。だから攻撃ではなく、アンサーなのです。このアンサーは出版社側と5,6回修正して完成され(出版社報告書p.53)、投稿されました(1月26日)。

しかし炎上し、2日後(1月28日)に「アンサー」は削除されました。原作者は脚本家を攻撃したかったのではなくて、何をしたかったのでしょうか?

脚本家の想いを初めて聞いて「自分の想いも伝えたかった。そしたら今度は脚本家から『アンサー』が欲しかった。攻撃したかったのではなくて。」と、私は想像します。

生きづらい世の中ですね。赤の他人なら「会って話し合え」と言うでしょう。でも真実は、両社が意思伝達を断絶していた。それを踏まえると、ネットのおかげで初めて、意思疎通は断片的に達成されたのも事実です。もちろん誹謗中傷は悪です。ただ、もし応答(リプ)を求める『懇願』のみが殺到する事で脚本家(や代わりの関係者)の「アンサー」を引き出せれば、逆にネットこそが二人共を救い得たとさえ思うのです。これがネット法廷が和解により閉廷するルートです。

もちろん両者の想いを断絶させ、ネットに放流させて放置したのは両社の責任でしかない。にもかかわらず報告書で、原作者が面談を求める目的について「問いただしであり、譲歩や妥協ではない」と攻撃性を強調したり(出版社報告書p.50)、「自分が脚本として作った9,10話が駄作と言われているのが許せない」との原作者の憤りを強調したり(TV局報告書p.43)しています。つまり両社は、本人の最後の言葉「攻撃したかったわけではなく」を上書きする形で、原作者は脚本家を攻撃したかったと言いたいかのようです。

私という人間が想像したのと真逆になるのは、両社報告書が寄り添うのは、人間ではなく組織だからです。

「人の命」が大切であればこそ、例え組織に保身しか無くとも、諦めてはいけないと思います。今からでもネットが変わる事で「削除後生存ルート」は浮かび上がると思います。今回ネットが関係者を動かせないばかりか、逆に炎上で二者間の意思疎通を断絶させた事実は、「ネット」の構成員全員が原作者に謝罪すべき点だと思います。「攻撃したかったわけではない」という先生の最後の想いを、最も主体的に救い上げる方法は、ネットが自己改善することです。脚本家を守るためでは、ないのです。原作者の魂を救済するためにこそ、ネットの構成員は前進すべきです。組織が自己改善しない今、これが最も明確で最も実現可能な方法だと思います。

では上述の「ネットの自己改善」の他は無いか?諦めず「削除後生存ルート」を探るため、次に最後の言葉の「ごめんなさい」が、何を謝罪しているのか、考えたいと思います。

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