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天国の読者に動かされる創造の筆―ルックバック再読―

途中、ページをめくる手が止まり、代わりに心が動きだす。そういう名作は沢山ありますが、漫画ルックバックもその一つ。映画も好調ですね。

現実の悲劇(京アニ事件)を否応なく想起させるため、俯瞰で見て「悲劇で金儲け」と嫌悪する人もいるでしょう。この種の嫌悪感は私は映画「すずめの戸締まり」で感じました。ただ本作漫画は少し違いました。これは前者で「地震」がファンタジーエンタメとして描かれるのと、後者で「絵描き」が人生の苦難として描かれるのとが、大きく違うからだと思います。この点、本作が悲劇という結果を導いた原因を、精神疾患ではなく「絵描き」に据えた事は、正解だったと思います。

事件の被害者達って、自分には赤の他人に過ぎないかも知れません。それでも、衝撃的な事件に動揺した過去の自分の記憶の上で、犠牲者へ追悼を毎年繰り返す事で、自分の心の中に彼らのための「祭壇・仏壇」が形作られていく。そこはエンタメが不可侵な、神聖な場所になる。だから新海誠監督が「みなさんに楽しんでもらう」ために作る映画には嫌悪感を感じるのだと思います。一方、漫画「ルックバック」は、藤本タツキ先生の個人的セラピー目的に執筆されているように感じられるし、当該被害者達も現場アニメータとして「絵描き」の苦しみを味わっただろうと思い寄せる事が出来る。そう思う私には、本作は天国の読者を強く想定して描かれているように見えます。

本作は完成度が高い。タイトル回収も、主人公の名前「歩」も完璧で、しかもコマの隅々で物語を語ります。特に本棚で読者を感動させる漫画なんて、初めて読みました。マンガの帯に「このマンガがすごい!」2022年第一位とあり、よく考えると読む前に読者のハードル上げて良いのかと思うのですが、そのハードルを楽々と、またぐぐらいで超えてます。

再読では、序盤のターニングポイント(雨)の見開きで、必ず手が止まる。合算すると、私史上最強のブラックジャックによろしく(がん編)に匹敵しますね。

しかも電柱の角度がエグいです。「1本の線を描くのにも長年培った技術と深い想い」って、こういうことかなと。その角度とかをじっとみて、私は考えるのです。これは「未来を定める呪い」だなぁと。

呪いというとネガテイブなので説明します。中国古典に、負傷兵がためた膿を将軍が直接口で吸い出す話があります(よね?)。その場にいた負傷兵の母親は泣き出すのだけども、それは将軍の思いやりに涙を流したのではなくて、次の戦で自分の息子が将軍を守り喜んで死ぬだろうと予見して泣く。つまり、母視点では、この瞬間に息子を奪われたわけです。仏道に命さえ惜しまないのを「不惜身命」といいますが、息子は将軍に「不惜身命の呪い」をかけられた。

この漫画の見開きは、絵描きの道に身命を惜しまぬ決意が瑞々しく降り注ぐ祝祭的瞬間です。同時にそれは、他人からは「未来を定める呪い」に見える。

それは、夢というには甘くない。他人を心配させ、本人さえ苦しむ呪いです。その苦しみは、漫画家やアニメーターが、いや昔から絵描きは感じてきた。そんな絵描きの苦しみを本作がしっかり描くから、正しく鎮魂になり得ているのだと思います。

今までは、クリエイターが将来作ったであろう作品が失われた悲しさを感じていました。そういう身勝手さを含む哀悼の気持ちで、心の中の仏壇に手を合わせてきました。

でも今年は映画の予習に漫画ルックバックを読んで、そして今回また再読して、ちょっとそれだけでも駄目かなと思い始めました。これからは、天国にいるであろう犠牲者達が視聴者として満足するような作品が沢山あらわれる事を毎年祈念していこうと思います。凄かったルックバックさえ超える凄い作品。そんな作品を心の仏壇にお供えする。そういう日にしていきたいと思います。

だから、今、これを読んでいただいているあなたがもし、本作の主人公のようなクリエーターなら、ふと静止したあなたの「筆」が、天国の読者・視聴者達に動かされる事を期待したい。そう祈念して、この note を書きました。合掌。

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