『Vivy -Fluorite Eye's Song-』が描くAIの精神性

前回触れた『Vivy -Fluorite Eye's Song-』(2021)のAIモノとして興味深いポイントを話したい。

可能性と限界

これは(アニメ化のタイミングという意味での)『AIの遺電子』にも言えるが、本作の登場した時代背景に深層学習を用いた高度なAIの普及がある。

このままAI技術が発展すればやがて人間と同等(以上)の存在になるのではないか。そういう現実的な、「AIの叛乱」などよりずっと身近な感覚が『AIの遺電子』のリアリティを形成している。

だが一方で、今のAI技術(深層学習)の限界もまた我々は見てきたのではないか。

本質的に見たものの反復しかできない画像生成であったり、虚偽もそれっぽく話してくるChatGPTであったり、単純な性能面の話もある。しかしより決定的なのは特定のタスクしかこなせない、という点だ。

厳密に言えば様々なタスクを学習させることは可能だが、いざ実行(推論)するときに学習していないタスクが出来るわけではない。何が出来るかはネットワーク構造と学習データによって決まっているのだ。これを乗り越えて人間レベルの汎用性を獲得したAIを、今では区別してAGIと呼ぶ。当然AGIは未だ架空の存在でしかない。

2015年より登場したTensorFlowなどの深層学習ライブラリは、日本でもテクノロジーに興味のある層を中心に周知されて行き、生成AIブームほどではないにしろ深層学習AIへの理解を育んだように思う。そうでなくとも「AIに職が奪われるのか?」という疑問を通じて、ここに述べたタスク特化性などの性質を知ったケースも少なくないだろう。(タスク特化性とは適当な造語である。AGIと対比してWeak AIやNarrow AIなどと呼ばれるので、WeaknessやNarrownessなどと言っても良いかもしれない。)

こうして徐々に深層学習系のAIが周知され、DeepLといった高品質なサービスも既に浸透し始めていた。2021年とは、振り返ってみれば翌年の生成AIブームまであと一歩という状況だったのだ。

AGIでないAI

『Vivy』のAIは感情のあるような振る舞いをするが、同時に「AGIでないAI」として明確に線引きされている。

第1話、AI企業のPRらしき動画は以下のようにAI技術の発展を説く。

私達AIはたった一つの言葉によって支えられています。すなわち、使命。
私達は何のために稼働するのか。生まれたての赤ん坊だった私達にはあらゆる期待が寄せられ、それら全てに答えようとし、それら全てに失敗しました。
複数の使命によって成長の指針、人間における人生の目標を見失っていたのです。
そこで研究者達は一体のAIにつき、一つの使命のみを課すことを義務付けました。それにより、私達の人生に迷いは無くなったのです。
それぞれに与えられた、たった一つの使命のために稼働する、それが研究者達が見つけた私達AIの在り方。
AIと人間、両者が発展する未来をこれから紡いでいきましょう。

『Vivy -Fluorite Eye's Song-』第1話

ここには本作のSF的奇想が凝縮されている。

まず「複数の使命」の失敗、これは明らかにAGIの研究が難航する我々の現在とリンクした設定だ。『Vivy』のAIは人間と同様な言動をしても内部の思考は機械的なものと見做されており、「プログラムに沿って応答するだけ」のような言説も現れる。(ただ設定によれば「AIの人格」はコピー困難とされており、人間が持つとされるような神秘性を獲得している。)AIの思考を一貫して「演算」と呼ぶのもその一例だ。何故そうした区別をするのか、本質的に何が違うのかの答えが「一つの使命のみ」という性質に集約されている。

そして一層興味深いのは、そもそも「使命」という表現を通じてAIのタスクを人間的に再解釈している点だろう。現在のAI研究で言えば、タスクとは画像分類だとかの単純で創造性の余地がない作業を言うので、これは一つのSF的飛躍だ。しかし「たった一つの使命」に人生を捧げる、という運命論的な「人間」像によりタスク特化性を理解すると、人間との差異を保ちつつもAIの物語をドラマとして鑑賞することが可能となる。第2話で人間の相川議員がヴィヴィの「(使命に対して)どう稼働し続けるか」を「どう生き続けるか」と自然に再解釈するくだりは、まさにこの回路によって実現されているのだ。

AIらしさ

使命や「目標」という言葉はやや曖昧だが、要するに行動原理とも言い換えられる。フロイトの力動論、つまりエネルギーを持ついくつかの「気持ち」が人間の心を行動に駆り立てているという見方を用いれば、そうした「気持ち」それぞれが行動原理ということになる。

フロイトが特に提唱したのは「イド・自我・超自我」や「リビドー・デストルドー」で、欲望と良心、また生存と破滅といった対立から説明を試みた。対立する行動原理が人間の心を絶えず掻き回しているという形で、治療を求めたり拒否したりする患者の深層心理を医師フロイトは理解しようとしたのだ。「たった一つの使命」という条件はこの手の対立がない、非常に一貫した精神性へと繋がっている。

たった一つの使命のために稼働する、という在り方は「感情がない」あるいは「創造性がない」といった人間からの引き算ではない。現実のAIのタスク特化性を拡張し、むしろ美点とも言える「AIらしい」精神として本作では中心的に描かれている。この点を認識すれば、『Vivy』を一つの偉大なSF作品と呼んでも全く過言ではないだろう。

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