はじめまして

 はじめまして、「きのした きょう」と申します。本が好きで、自分でも時々、誰に見せるでもなく細々と文を書いたり(絵を描いたり)してきました。最近、今までは見る専門だったイベントなどにも参加してみたいなあ、と思うようになり、そろそろと賑やかな往来に顔を出して辺りを窺っている……というような状態です。

 レムの『ソラリス』やオーウェルの『1984年』のような、無機質さを感じさせるSFでありながら、人間の合理的に割り切れない部分を扱った、荒廃しているような寂しいような、冷たいようなじんわりと哀しいような、そんな世界観が好きです。SFに限らず、人の心の分からなさを見事に言葉に託したような、言葉に馴染みにくいだろう機微を描き出したような作品にも、とても心惹かれます。この頃は海外文学を手に取ることが多いのですが、変わらず日本文学にもときめいています。

 人が好きですが、ひとりでいることが多く、旅行でもちょっと人気の少ないような、それでいて生活を感じるような場所が好きです。山や自然も好き。最近、美篶堂さんの豆本製作の本と、入門キットを購入しました。マイペースな性格ゆえ、取り組むのはいつになるのか!? 本人にも分かりませんが、楽しみです。

 それでは最後に、過去に書いた短いものの中からいくつかを。

「宝物」 

 形のないものなど、僕にとっては存在しないも同然だった。見えないものは確かめようもない。宝物と言われれば目に眩しい宝石が思い浮かんだし、それは僕には縁のないものだった。ポケットに手を入れてみたところで空っぽだし、生憎僕はいつも身軽なのだ。海に投げ出されたって、財宝の重さで沈んでしまうことなどないだろう。
 秋の気配が裏寂しく、翳り始めた陽に身震いをする。思わず目を閉じれば、波音が聞こえる。潮風が鼻腔に忍び込む。砂浜に砕ける波の白さが眩しい……あ、何だろう。指先に触れたものを掴んで目を開くと、そこにはあの日君がくれたシーグラスが、ほのかな温もりと共に夏の名残を留めていた。



「朝日」

 ゆらゆらと光がたゆたう海底を思い浮かべた。まるで水底から見上げたように、藍から青へ、青から白へと色が折り重なり混じり合って奥行きを生み、それでいて手を伸ばして触れようとは思いもよらない程に透明なのであった。そう、あの空には手が届かないことを知っている。
 徐々に彩度を上げていく世界にひとり、朝日を待っている。正確な時刻は知らないし調べようとも思わなかった。ただ視界の端にまだ濃い闇の気配が残っているから、夜明けが訪れていないことは知っていた。
 思い出したように頭を巡らせる。周囲は山に囲まれ、渓谷に張り出した人工の足場が、人間の存在を意識させる唯一の物だった。ここには自分しかいない。しかし命の気配がする。それは大袈裟に言ってしまえば、この星の呼吸とでもいうのだろう。注意して音を拾うと微かに風が渡るようだ。もう日は昇っているのかもしれない。ここは山の頂でもないし、この場所から朝日が見えるのかも知らない。東の方向を注意深く探ってみても、ただあの辺りが一層明るいことが分かるだけだ。影さえ映さずとも、あの陽というものの存在感は圧倒的だ。その光と熱が一帯の空気をまるで夢みたいに変えてしまう。
 夜が明けたことにしよう。何気なく腕時計を確認しようとして、視線の先に上げた左腕がいつもより軽いことに気が付く。リュックには携帯が入っているが、改めて取り出す気にもならなかった。日に背を向けて歩き出しながら、ふと夜は何処へ行ったのだろうと思う。習い覚えた科学の知識が、この時ばかりは御伽話のように現実味がなかった。きっと、夜は西の方角に沈んで行ったのだ。そうして繰り返す天体の入れ替わりに、時間という意味を見出した人間の感覚を面白く感じながら、明日からまた新しい年が訪れることを不思議にも思う。その区切りもまた、人間にとってだけ特別なものなのだが。
 日に向けた背中があたたかい。その温もりに呼び掛けられたような気がして振り返る。相変わらず姿は見えないが、飽きるほど毎日律儀に繰り替えし顔を出す太陽が、そこにはいる筈だった。何か挨拶でもしようとして、そんな自分に苦笑する。今までもこれからも、自然というやつは人間に無関心だ。だからこそ人は、好き勝手にそこに意味を見出そうとするのだろう。否定もなければ肯定もなく、共感など起こり得ない。その一方通行な存在に、人は関わることをやめることができない。
 海底のイメージを思い起こそうとしても、振り返った景色の白に塗り潰される。その光に目を細めながら、明日から繰り返す一年できっとこの景色を思い出すだろうと感じた。記憶に焼き付けるように、目を閉じて大きく深呼吸をする。ゆらゆらと、光の名残が意識をたゆたう。無意識に手を伸ばした。前へ。 
 春にまたここを訪れようと思う。うまく行けば、空を切った手に花弁が捕まるかもしれない。そんなことを取りとめもなく考えながら、再び歩き出した。


 
「終末に」

 僕はアパートの六階に住んでいた。住人の大抵が独り身らしく、日中もひっそりと静まり返っているのが性に合っていた。もう一つ、窓から海が見えたのもここに居る理由だった。それくらいしか、僕がここにいる理由はなかった。他は全部、どうにでもなることだ。どれも本質ではない。
 かつてここには海があった。今でも時折、階下で人魚が歌う夢を見る。アパートの住人はみな、何処かへ行ってしまった。海の方が賑やかだろうに、人魚は寂しそうな声で呼ぶ。誰を呼んでいたのか今となっては分からないが、僕でないことは確かだった。
 沈黙は苦ではなかった。僕はこのアパートが、いつも眠っているみたいに静かなのが好きだったから。いっそ言葉を忘れても支障はないと思ったけれど、僕と言葉は手を携えて日々を送った。僕は自分と語らった。時に書きつけた言葉が、僕の感情を定義した。泣いていた。僕は書いたものに慰められ、宥められ、時に励まされて暮らしていた。アパートの六階で。
 誰にも見せるあてのない言葉をそっと掌に包むと、それは小鳥のようにさざめいた。研究所にも誰もいないから、僕は最後の日に、生き物をみんな逃してやった。僕は僕と同じ細胞の仕組みを持つ彼らと、原始の記憶にお別れをした。
 言葉は握りしめたまま、置いてかれるのが怖くて確かめもしなかった。置いていかれるのが嫌いだったから、言葉を見送ってやることにした。歌が聞こえなくなって以来、締め切っていた窓を開く。部屋中に書き散らした紙が、挨拶をするように渦巻いて、空へと飛び立っていった。
 
 かつてここには海があった。
 アパートの六階からは、薄青を舞う紙吹雪が白波のように見えた。


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