人狼ゲームから読み取るアナログゲームにおける「ゲームデザイン」の注意点

注意

この記事には所謂人狼ゲームのことを「悪く言う表現」が多く含まれます。
そういったものを見たくない方、見ても理解できない方はこの記事を読むことをおすすめしません。
というか読まないでください、言葉は通じるのに話は聞かないわ文字は読まないわで話が通じない人との対話のめんどくささは人狼ゲームをやっていればわかるでしょうから。



本題

私は底辺ながらも同人でボードゲームを制作し、印刷し、頒布させていただいています。
そうなるとやはりテストプレイなどをして頂く機会もそれなりにあり、時には当然厳しい意見をいただくことも多くあります。
そこで指摘されることは「現代ボードゲームにおいて当然配慮すべき点」であることがほとんどです。
そういった学びを踏まえて、木っ端同人ゲームデザイナーなりにでも人狼ゲームを分析すると、とても面白いことが読み取れます。
なぜなら、人狼ゲームは文字通り昭和に存在した『MAFIA』から本筋は大して変わらずにユーザーの介護によって生きてきた昭和のゲームで、当然多くの問題点を抱えたものである一方、「正体隠匿系」というジャンルの先駆けという立ち位置にあり、後発作品ではそれらの課題が解決されている、とんでもなく優れた教材だからです。

さて、まずは人狼ゲームにおける「アナログゲームとしての問題点」を挙げてみましょう。

1 時間経過に伴い脱落者が発生する
2 議論をするゲームであるが議論のルール・フロー自体が定義されていない
3 脱落を回避することが「プレイの動機」のひとつになっている

大きく分けてこの3点が挙げられます。
それぞれについて分析します。

時間経過に伴い脱落者が発生する

このゲームにおいて一番の売りであり同時に一番良くない点です。
人狼ゲームを好むプレイヤーは「吊られても霊界から観戦するのが楽しい」「下手くそなのが悪いんだから見て学べ」といった意見を述べがちですが、これは明確にゲームデザインとしては欠陥です。

この点を深く分析するとこの1つの問題だけでいくつかの課題が浮かび上がります。

・プレイヤーの脱落によるダウンタイム
ダウンタイムの問題は現代ボードゲームデザイン、もっと言えばデジタルゲーム、ひいてはその他の娯楽でも共通する課題です。
一般にボードゲームにおけるダウンタイムは自分以外のプレイヤーがプレイする間に生じる盤面に干渉することができない時間を指しますが、人狼の場合は吊られた途端に「そのゲームが終わるまでの間、盤面に干渉することができない」という一般的なボードゲームとは一線を画す長さのダウンタイムが生じることとなります。
ダウンタイムの問題は日本のみならず西洋圏においても提起されており、場合によっては「長考が発生するようなゲームデザインにするほうが悪い」という程に忌避される要素です。
そんなダウンタイムをルールが強制力を以て、平均して全体の4割程度の長さでプレイヤーに強要するデザインは間違いなく欠陥であるとされます。

そもそもプレイヤーはなぜわざわざ集まってまでボードゲームをするのでしょうか?
それは「そのメンバーでボードゲームを遊ぶため」です。
「自分以外のメンバーがボードゲームをして楽しんでいるところを見るため」でもなければ、「自分以外のメンバーがボードゲームを楽しんでいる隣で仕方なくスマホをいじるため」でもありません。

・決着のつくタイミングの悪さ
人狼ゲームはその仕組み上、決着がつくのは「いずれかの人外陣営の勝利条件が満たされた時」あるいは「全ての人外陣営の勝利条件を満たすことができなくなった時」です。
ゲームが終わるのにはどの程度のラウンドがかかるのか、どのような過程を経るかは天井こそあれどプレイの内容次第で一定ではありません。
これだけではなにも問題はないですが、脱落するプレイヤーが発生するとなると問題となります。
結果を享受するためには、ゲームに干渉できないのにその場に居なければならなくなるからです。
これは結果として上記のダウンタイムの問題に派生することとなります。

・プレイヤーの脱落が散発的であること
これは7~8人程度の状況から発生する課題です。
一般的なボードゲームにおいて、既に勝敗が確定したプレイヤーは片付けを考慮しなければその場にいる必要性はありません。なぜならば、上記の通り、そこに居てもゲームに影響を与えないからです。
その場合、すっきりと忘れて別のゲームを用意して離脱した人間同士で遊び始めてもいいですし、何の気もなしに最後まで見続けてもいい状況になります。決着がつくまでに離脱者は発生するかも知れないし発生しないかも知れませんから。
しかし、散発的に5分、10分置きに離脱者が必ず発生するゲームの場合、別のゲームを用意するハードルは大きく上がります。これは「多くのゲームは途中参加を前提として作られていないこと」「定員以上の人数では遊べないこと」に起因します。


ここでこれらの問題の解決パターンを見てみます。

1.脱落システムをなくす
 ex.レジスタンス:アヴァロン、お邪魔者

一番直感的な解決策です。バレても問題なくゲームは続きますが、バレない方が勝利条件を満たしやすい。
ゲームに参加し続けることを前提とした作りになっています。

2.ゲームそのものを短くする
ex.ワンナイト人狼、UNO

脱落者が出ても1ゲームが短いために盤面に干渉することができない時間を減らすことができます。
一方で複雑なゲームにできなくなるため、システム面での戦略・できることの幅は減りやすくなる欠点はあります。

3.脱落するのは最後だけ
ex.ダンゲロス

正体隠匿ゲームではないですが、手法としては中庸のパターンです。
脱落者は発生しますが、ゲームの終了間際であるため盤面に干渉することができない時間が純粋に抑えられます。が出る場合と同程度の拘束で済みます。


4.脱落者が出たらゲームを終了させる
ex.宝石の煌めき

例として挙げた『宝石の煌めき』は勝ち抜けゲームですが、負け抜けでもその時点で点数計算を行わせるデザインのものもあります。
脱落者を待たせないための手法のひとつです。
3と同様に同様に本体が長いゲームとなっても、短時間でプレイするゲームで脱落者が出る場合と同程度の拘束で済みます。

5.脱落者に役割を与える

こちらはデジタルゲームですが、脱落者の行為が人狼における村人陣営の勝ち筋の1つとなっています。
このゲームにおいては普通の人狼に加えて「全てのタスクを完了する」という要素が追加されており、脱落をしたプレイヤーもその作業に加わることができるため、十分にゲームに干渉することができます。
勝利条件に加わる他にも、ゲームによっては「妨害効果(ないし補助効果)を任意の対象に与えることは生存時から変わらずにできる」ようにするなど、脱落が完全な脱落でないよう工夫するゲームは存在しています。

おおよそこの5通りの手法によって、脱落したプレイヤーが盤面に干渉することができない問題の解決が試みられていると認識しています。
特に正体隠匿ゲームにおいて多いのは「脱落システムをなくす」であるように感じられます。(当然全てのボードゲームを調査することは不可能なため知る範囲においてですが)


議論をするゲームであるが議論のルール・フロー自体が定義されていない

「人狼だって占いCOからなにから決まってるだろ! この無知無能能無しが! だからお前は人狼のことをクソゲーだと感じるんだよ!」そう言いたい気持ちはわかりますが、それはあくまで「ユーザーが勝手に決めたパターン」です。
「ゲームの自由度が高いこと」と「ゲームが何も定めていないこと」はイコールではない
ことも注意が必要です。
ボドゲーマにおける人狼ゲームのフローを見てみましょう。

「人狼」においてどのように人狼をあぶり出し勝利に向かうかという一番重要な要素であるにも関わらず、そこには「議論の時間には議論する」と設定されているだけであり、他のゲームで言うならば「勝利点を稼ぐ」と書かれているのと大差ありません。
「なにをどうもって勝利点を稼ぐのか」
「プレイヤーはどのようなアクションが行えるのか」
「どのようにアクションを行うべきか」
「やってはいけないことはなにか」
こういったものはゲームの把握において重要です。
これらの要素がゲームによって設定されていないからプレイヤーは独自に占いCOのタイミング、対抗COのタイミングetc.をルールの外に存在するコミュニティで制定し、ゲームに明記されていないマナーとして強要する土壌が出来上がるのです。

この問題を解決したゲームを見てみましょう。

ex.シャドウレイダーズ

シャドウレイダーズは正体隠匿ゲームであるため当然「議論」をすることになります。しかし、その判断材料となる質問は人狼に置き換えれば「あなたは村人以外の役職を持っていますか?」程度の情報量を開示できる「推理カード」によって嘘のつけないYes/NO形式で行われます。
この形式でゲームを展開するゲームは他にもありますが、
この手法の利点は
「質問の手法が固定化されていること」
「言い方に左右されないこと」
にあります。
こうすることで「ゲーム外に制定されたコミュニティごとのルールを把握する必要がない」わけで、初心者がゲームをプレイするにあたりゲームから疎外されることを防ぎます。
ルールに書いてあることをルール通りに処理すればつつがなくゲームが進行されていくというのは、ゲームシステムとして成立する最低限です。
そこに外部から「手法の制定」という介入が必要となっているのであれば、それはルールそのものに欠損(不足があるだけであるから欠陥ではない)があることの左証です。


脱落を回避することが「プレイの動機」のひとつになっている

これは脱落だから問題というわけではなく、「◯◯をしない場合ペナルティを与える」という設定そのものがプレイヤーに対して良いゲーム体験を与えない傾向にあるから問題であり、プレイの動機づけとして不適切であるということです。

「勝ったらご褒美」と「負けたら罰ゲーム」はどちらもニュートラルな視点からすると同じ格差が生まれるように調整を行ったとしても前者にはポジティブな印象を持ちますし、後者にはネガティブな印象を受けるのが人間です。

特に人狼においてプレイ=議論に参加する動機というのは「自陣営を勝利に導くこと」に本来置かれるべきであり、基本的にはそのように運用されているはずですが「脱落してゲームに参加することができなくなる」というペナルティがゲームとしてあまりにも重いために「脱落を回避すること」が十分1つの目標になり得ます。
実際現実で人狼するデスゲームになったら自分はタヒにたくない(過度に重いペナルティがある)から他者を差し出すのと同じです。
そうすると「自陣営を勝利に導くこと」という本来の目的から離れたプレイを誘発しやすくなります。
これは参加者が幼稚であるからではなく、システムがそう思考することを誘導してしまっていると言えるでしょう。
仮に脱落というペナルティがなければまともに議論も進まないのであれば、それはプレイヤーに対する議論の動機づけに失敗しているということになります。

上記した脱落のない正体隠匿ゲームでは、役職がバレることは脱落に繋がりませんが、役職はバレない方がゲームを有利に進められるという「利益」を与える方向で調整されています。
ですから脱落なんて罰ゲームがなくとも人狼で言う村人陣営は必死に敵を探しますし誰なのかわかったらその人の行動を阻害します。一方、人狼で言う人狼陣営はこっそりバレないように妨害をしますし、バレたら堂々と妨害を始めます。

最後に

思ってたより長ったらしい記事になりました。
私自身、人狼ゲームそのものは「正体隠匿ゲームのパイオニア」として高く評価しています。
自分の役割を悟らせないように活躍するというゲーム体験は素晴らしいものだからです。
一方、古いゲームである以上、現代ボードゲームのデザインとして考えるとあまりにも欠陥や欠損が多いデザインであることは否定できません。
(だからこそ正体隠匿ゲームとして後に続いたゲームは脱落問題への対策を取っているものが多いわけですし、現代における人狼は脱落者が観戦と雑談を楽しむことを前提とし、「新たな役職を追加する」事や「外部コミュニティにおいてルールを細かく設定する」事によってゲームバランスやプレイ環境をどうにかしようと躍起になっています。)
そのため、麻雀などと並んで「仮に今まで存在しなかったとして、現代にぽっと出で発表されても間違いなく今ほどにはならないゲーム」にカテゴライズされるものの1つになるとまで思っています。

だからこそデザインを分析をすると面白いという話にはなるわけですが。
いい感じな〆が思いつかなかったのでとりあえずこのへんで。

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