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静かに鎮火しつつある90sストリートリバイバル

ストリートの本場、アメリカの内向き指向が止まりません。20年にsupremeがVFに会社を売却して以降、stussyは日本展開アパレルを完全停止し閉店ラッシュ、そしてUNDEFEATEDもそれに続くように日本店をほぼ閉店し直営数店舗運営のみとなりました。

>「ステューシー」は、昨年まで売り上げをけん引した日本企画商品が本国企画のグローバル展開商品へ切り替わった影響で、売上高は17.1%減の27億円となった。

スニーカーブームも一旦は落ち着き、ZOZOTOWNでもジョーダン1が買えるようになりました。転売はいまだに問題ですが、ネットを見渡せば多少値が張るものの自分のサイズが買えるようになってきたことを思うと、供給が追いついてきたどころか、まぁおそらくだいぶ余ってるんだろうなという感じです。

90年代カルチャーが当時なぜあそこまで燃え上がったのか、いろんな説がありますが、その一つにはやはりインターネット前夜だったことがあげられると思います。情報を得る手段が今より極端に少なく、そもそもモノ自体も少なく、それの相乗効果であの熱狂、ファンダムを産んだ。

カニエのYZY発売が2015年でしたが、あの流通量の少なさ、情報の無さは完全に90年代を思い出させました。当時街で1番オシャレなお店や人や場所に突撃して無碍にされた恥ずかしさや、パチモノをつかまされる虚しさ、買えたとてヤンキーにエアを潰されたりパクられたりした悲しみは、今のアラサーアラフォーが持っているルサンチマン。彼らが小金持ちになった2015年ごろ、カニエのアパレルでの商才と共に爆発したのでしょう。

ただ、今は大SNS時代。どんなに発信者が工夫したところで、ロバの耳よろしく情報はすぐ共有され購入する手筈が整います。YZYも出だしこそ買えなかったものの、350を複数展開し始めた頃から供給量が増え、買い方も共有されはじめました。同時にNIKEやReebokから"俺たちのあの頃の靴"の復刻が相次ぎ大きなムーブメントになりましたが、"懐古主義以上の何か"が生まれず(カニエやトラヴィススコットなどラッパーからの名デザイナーは生まれましたが)、供給が追いつくと同時にブームの終焉がやって来た印象です。

そもそも、ストリートカルチャーは"商業的に作られた流行へのアンチテーゼ、マスではなくリアル(=ストリート)に目を向ける""物にストーリーや意味を見出す"という側面が大きいと思うのです。しかし昨今のストリートブームは、厳し言い方と自省を込めると小金持ちになった当時のキッズ達が街に出ずお金で追体験をしようとした以上の何者でもない。現代のキッズたちもそれに倣い転売を覚えた。そこに勝機をみつけた大きな資本がいくつも動いた。当時はちょっとしかなかった商材やデザインが一気に作られ消費されてカラカラになった。

その潮流真っ只中で働いていた自分の夢を言えば、もっとストリートの文脈や、コンテキストを大事にして売りたかった。今それをあえて着る・履く意味を、"流行ってるから""転売で稼げるから"以上のストーリーをちゃんと消費者に伝えて、世の中のマスに疑問符をもつ90年代スタンスそのものを今に継承して欲しかった。でも、非力すぎてできなかった。

大きな企業や銀行は、毎年右肩上がりの売り上げ、利益を求めてきます。株式市場にいる以上、売上のスプレッドは使命と思い、どうにか売上げ伸長するよう苦心しましたが、極端にモノがないことがキモだった90年代カルチャーを模した次から次へと発売されるリバイバルアイテムを売るのに精一杯で、大事なコンテキストを後回しにしてしまった。そして、客は飽きお腹いっぱいになって、市場を去っていった。

カルチャーには、そのカルチャーごとに適切なサイズの市場があると、ここ数年身をもって痛感しました。それを無理に拡張するのは、出来なくないけど後に残るのは消費されつくしたあとの砂漠です。推しの布教はほどほどにですね。

ストリートカルチャーは死んだわけではなく、90年代ストリートの象徴NIGOが KENZOのデザイナーとして頑張っていたり、その盟友のファレルのヴィトンも素晴らしいコレクションを発表したりと、その灯火は引き継がれ続けています。

今はもうストリートアパレル業界を去ってしまった私が言うのも何ですが、これからも、自分なりの愛し方で、大好きなカルチャーを体現して守っていきたいです。

きん

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