生きているということ

ご案内

 今回のお話は結構暗めな話ですので、いつもの僕のあっけらかんとした文章が読みたい方はお控えいただくと幸いです。文章を書くときはできる限りユーモアをまじえようと思って筆を執っているのですが、今回ばかりはあまりそういうものもないのでご了承ください。

はじめに

 五月中頃、父方の祖母が息を引き取った。このnoteを読んでくださっている皆々様に一つ言い訳をさせていただきたい。今、まるで私が祖母の死をネタに一筆したためているようになっているがそうではない。もとより死に関する話を書いていた所、今回の不幸が重なってしまい、死に関する話をするのに語らないわけにはいかないと思いここに記すことにした。
 祖母が亡くなる前日、いよいよ危ないということで両親と見舞いに行った。見舞いといっても、祖母はベッドで横になって呼吸するのがやっとのようで、私は部屋の隅で鳴っている心拍の音と、両親の祖母への声掛けを耳に、ただその光景を見つめるだけだった。翌日の朝、祖母が亡くなったと聞いても驚きは少なかった。

死とは

 この表現が適切かどうかはわからないが、私の中で祖母はもう生きてはいなかった。それは、生物的な生ではなく人間的な生について。祖母はザ大阪のおばちゃんという感じの人で、その勢いとパワフルさに私は圧倒されるばかりだった。私が高校生のころ、認知症だった祖母の病状は急激に悪化していった。いよいよ祖父でも面倒が見切れなくなり、祖母は施設へ入った。とはいっても、基本的なコミュニケーションは取れるし、パワフルさは健在だった。私が大学へ入学したころ、久々に祖母と面会した。実の息子である父の名前は呼ばれず、祖父はおっさん呼ばわりされていた。その時、私の中にある幼少期からの祖母の面影は、六月の日照りによって消え去った。自身の生きてきた記憶も思い出せず、ただ今の出来事に対してのみ反応を示す。私はこの状態になった祖母を、もう祖母だと認識できなくなってしまった。
 その後、定期的に両親に連れられて面会に行ったが、状態が良くなっているはずもなかった。そして、私の身の回りで最も死に近い存在である祖母を、私はもう目にしたくは無かった。しぶしぶ父の後ろについて何度も施設を訪れたが、その光景が変わることはもうなかった。そこ座っていたのはかつて私の中で祖母であったはずの人だった。
 だから、祖母の訃報を聞いても別段驚きもしなかったし、悲しさがこみあがることもなかった。私の中で祖母はもう亡くなっていたから。

本題

 昔から、四、五歳の頃から私は死への恐怖を抱き続けてきた。今動いている私が私でなくなり、私のすべてが終わる。これほどの苦痛は無く恐ろしいものもない。だから私は、私が死を連想する全てのことを見ないようにした。映画やゲームなどでの描写には私は何も感じなかった。しかし、テレビのドキュメンタリーや宗教の死生観など、深く死について考えさせられるものには、目を背け続けた。ある時、心臓の鼓動には回数が決まっているという話を聞いてからは、自分の心音さえも忌避する対象となった。どこかの国の科学者がサイボーグ化した記事を読んだ時、私の死への不安はより一層強くなった。サイボーグ化は死を回避するための希望ではないかと思った人もいるだろう。しかし私はそうは思えなかった。もし、自身の体が機械になったとしてそれは私と言えるのだろうか。もう少し話を簡単にしよう。例えば、君の考え、記憶、信条、性格、君の持つあらゆるものすべて同じ機械があったとしよう。その機械は君だと言えるだろうか。多くの人が違うと答えるだろう。では君が死んだあと君の脳のかわりにその機械を入れ、もう一度君を動けるようにしたとして、君は生きていると言えるのか。これもまた違うと君は言う。ならばその逆はどうか。瀕死の君の脳を機械の義体に移し替えて、延命したとしよう。その時君は生きているのか。私は、この答えを考え続け未だ答えを出せないでいる。
 私は、記憶こそが人を作っていると思っている。生まれてきて経験してきた、学習してきたすべての記憶の蓄積こそ、人の人格を形成し、個性を作り出すと思っている。記憶こそがその人の生きた証なのだと。では記憶をなくしたとしたら。私は記憶がなくなった時こそ、人の死の瞬間だと思っている。記憶を失う以前のその人はその瞬間死に、また新たな人間が形成される。
 では記憶を有していると生きているといえるのか。それもまた肯定しかねる。昔、寝るのが怖い時期があった。寝ている瞬間は自分の思考はすべて停止し、その瞬間の記憶がなくなる。睡眠は私にとって死と隣り合わせの行為だった。その時の私はこういうことを想像した。もしかすると寝ている間に、今までの記憶がすべて消えるのではないか。そしてこうも考えた。今ある記憶は寝ている間にすげ替えられたものなのではと。つまり、寝ている間に今の自分が死んでしまうことを恐れたのだ。今の自分が消えてしまう。いやもしかすると、今までずっと消えては生まれてを繰り返してきたのではと考えると、眠るのが億劫になってしまった。
 だから、重度の認知症になってしまった祖母は最早私の中には生きてはいなかった。ベッドに横になる祖母を見て、私は生と死の両方を感じていた。

そして生活は続く

 よく、人生一度きりだからみたいなことをほざく野郎がいる。昔からそれが大の嫌いだった。死を連想させるものでもあるし、何か自分はわかっていますよみたく、俯瞰してる自分に酔っている風な文言が鼻についた。みんなが知っていることを、あたかも自分の考えのようにこれ見よがしに披露する人間を誰が好きになろうか。
 しかしまあ、人生は一度きりという事実は変わらないので、私もこの理論に乗っかることにした。思いを寄せる相手に対して、どうせいずれ死ぬならもっとアプローチしようと考えることがある。やらずに後悔するなら、やって後悔したほうがいいと。これも嫌いな言葉だが。しかしながら、無計画に接近したところでろくな結果にならないことくらい、私の短い人生でも学んでいる。
 これから先、確実に起こる死という事象。そこに向かって私たちは日々暮らしている。いずれ終わると分かっている事柄に対して、私はどのような心持で暮らせばいいのか。物心ついたころからその悩みが尽きたことはない。そのどうしようもない恐怖に、私はいつか折り合いをつけることができるのだろうか。朝、クレヨンで塗りつぶしたように雲の白がまばらに見える空を見たとき、私の人生は一日延びたのか、それとも一日減ったのか。誰か私に教えてください。この問いを抱えながら私の生活は続く。


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