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井出洋介語る10「竹書房との2度目のトラブルと健康麻将オープン戦」

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野口さんが張さんを切りたがった

中国麻将の統一ルールを日本で広める「日本麻将体育協会」が発足した後、新たな動きがあった。日本麻雀競技組織委員会(JMOC)という組織が生まれたのだ。メンバーは田辺恵三さん、大隈秀夫さん(麻雀博物館館長)、石本洋一さん(日本麻雀連盟理事長)、木下裕章さん(全国麻雀業組合総連合会会長)。そして絶対的存在は、竹書房会長の野口恭一郎さんだった。

そして僕も、当時はこのグループから声をかけられ、行動を共にしつつあった。

当時、麻雀博物館を作った野口さんは、中国にも麻雀博物館を作ろうと、麻雀発祥の地と言われる寧波に一緒に行くことになった。

野口さんが千葉県いすみ市にあった竹書房の保養所を改築して「麻雀博物館」を設立したのは1999年。僕は竹書房の麻雀劇画誌とは付き合いがなくなっていたが、野口さん個人とはトラブルなく、うまくやっていたと思う。何と言っても野口さんは、カプコンの麻雀ソフトの仕事を僕に紹介してくれた恩人だし、麻雀博物館には僕の麻将教室の生徒さんがツアーを組んで何度も行ったりしていた。麻将連合でも2001年には0μカップイン麻雀博物館を開催させていただけるまで、良い関係になっていた。

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