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井出洋介語る8「麻雀プログランプリ」の活動と「麻将」との出会い

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「麻雀プログランプリ」で仲良く大活躍

 少し話が前後するが、僕が最高位戦の代表をしていた1990年ごろ、当時のリーチ麻雀繁盛店「さかえ」グループと懇意になり、その縁で麻雀プロのナンバーワンを決める「麻雀プログランプリ」というタイトル戦の創設に関わった。

僕自身の競技麻雀活動は、名人と最高位の同時二冠を目指していたが、なかなか勝てず悪戦苦闘していた時期だ。

当時の最高位戦日本プロ麻雀協会の代表の僕と、101競技連盟の代表だった金子正輝さんと、日本プロ麻雀連盟の副会長だった安藤満さんの3人で「名人トリオ」を組んで「3人でプロ界を1つにしよう」と仲良くしていた。彼らに声をかけ、3つの団体の強豪を集めることになった。

F1グランプリのように、東京だけでなく日本全国の色々なところを回って、初日はプロアマ戦、翌日がプロ大会。

第1回は札幌、金沢、大阪と回って、東京大会が最終戦の4戦というシステムだった。札幌では土田浩翔さんが、金沢ではプロ連盟の金沢支部の皆さんが、大阪ではそれまでも懇意にしていた渡邊和弘さんが中心になって運営してくれた。この日本各地を回りながら競技麻雀をするという形は、現在も麻将連合の「ミューカップ」という競技会に引き継がれている。

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