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なぜ日本だけが成長できなかったのか3

こんにちはきんじょう46です👋😃

前々回より続けて、森永卓郎さんの著書「なぜ日本だけが成長できないのか」から、日本経済にダメージを与えてきた主体と、その経緯についてお話しています。

今回はバブル崩壊後の不良再建処理ステージで暗躍した米国ハゲタカファンドと、ハゲタカファンドの好き放題を招いた日本国内の要人・機関についてのお話です。

おそらく多くの人がその名を知る今も経済界で力を持つ人物、そしておそらく多くの人が知らない、あるいは忘れられた人物が登場します。


バブル景気から一転負債の山に 総量規制で不良再建が続出


1985年プラザ合意をうけた為替レートの急変(超円高)によって、日本経済は円高不況に陥ってしまいました。

政府と日本銀行は不況を打開するため、大規模な財政出動と金融緩和に打って出ます。

この経済政策が後のバブル景気を生み出した原因とされています。

今回バブル期の詳細は割愛します。
どのようなことがあったのか、ご存じないかたで興味がありましたら検索してみて下さい。

さてバブル景気(不動産バブル)が到来して不動産価格が高騰します。
が、1990年に財務省の前身である大蔵省が、金融機関に対して行った総量規制という行政指導によって一気にピークアウトします。

総量規制とは、銀行などの金融機関に不動産向け融資を抑制するように指導したものです。

不動産価格の高騰を沈静化させる狙いだったのですが、この総量規制の結果不動産価格が下落します。

不動産価格の急落は、不動産を担保にとって融資を行ってきた銀行にとって、深刻な悪影響をもたらします。

担保にとっている不動産の価値が融資金額をマイナスに下回ってしまう、不良債権が続出するのです。

多額の不良債権を抱えた銀行は財務状況が苦しくなり、個人や企業に対する融資も縮小されてしまい、国内金融業界が全体的な悪循環に陥ってしまいました。

金融機関による不良債権の回収は遅々として進みません。

それも無理からぬことで、不良債権処理とは融資した案件を赤字と諦めて損切りすることだからです。

ここで波乱の日本経済にさらなる大波を立てる人物が登場します。


「2、3年の内に不良債権を処理してみせる。」

2001年、米国でブッシュ大統領にそう断言した小泉純一郎総理大臣です。


小泉内閣が敢行した不良債権処理は日本企業のたたき売りセールだった


2002年9月10日、同時多発テロから1年後のニューヨークを訪問した小泉首相は、米国の外交評議会の席にて不良債権処理に関してこう語りました。

「1年数ヶ月首相をやってわかってきた。
専門家の意見を聞けば聞くほど全く違ったことを言う。
最終的に決めるのは自分しかいない。
覚悟して不良債権処理を加速させなければならないというのが今の私の認識だ。」

『なぜ日本経済だけが成長できないのか』より


企業の倒産も失業者が出ることも覚悟の上だ、と小泉首相は米国に宣言したのです。

米国外交評議会とは新自由主義者たちの集まりです。

新自由主義者たちに不良債権処理の断行を宣言したということは、誰がどう考えても“問題企業を米国に生け贄として差し出す”という宣言だったのです。

しかしそもそも、日本の国内経済の問題になぜ米国が絡んでくるのか?

森永さんの見解では1985年プラザ合意を発端とする、米国による日本経済乗っ取り戦略だと言います。

前回日本が国際協調路線にシフトする指針となった『前川レポート』のお話をしました。
前川レポートでは海外資本が日本に参入するためのさまざまな変革が盛り込まれています。

そしてこの前川レポートは、日本との貿易不均衡に苛立つ、プラザ合意当時の米国に対して作られたレポートだったのです。

つまり米国は、日本に米国資本が流入するように仕組んでいた。
バブル崩壊によりついにその時が来た。

ということですがさすがにそこまで完全に計算どおりに運ぶものなのか。
計算どおりだとするならば恐ろしいですね😨


話がそれてしまいました。不良債権処理を断言した小泉首相はすぐに動きます。

柳沢伯夫金融担当大臣を更迭し、後任に竹中平蔵氏が就任します。

竹中氏は元々「インフレターゲット」という、目標インフレ率まで物価を上昇させる金融政策を掲げていましたが、小泉首相に採用されず逆にデフレ下のままで不良債権処理を遂行していくことになります。

デフレとはご存じ物価が低下していくことで、これは土地価格も同じように低下するということなのです。

バブル崩壊により下落した土地価格はデフレによってさらに価値が下がり続けおます。

つまり不良債権の金額がデフレによってさらに膨らんだということです。


小泉首相が推し進める不良債権処理にはもう1人のキーマンが登場します。


木村剛(きむら たけし)金融庁顧問に招聘された経営コンサルタントです。

木村氏は東大経済学部卒業、日本銀行に入行したのち米国に転任し、その後に米国のコンサルティング会社KPMGの日本法人の社長に就任した人物です。

彼が日本経済の運命を変えたのは、1つの会議がきっかけでした。


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今回はここで一区切りとします。

木村剛氏の登場は、日本経済にとってイレギュラーな存在となります。

彼が提唱した『大手企業30社の不良債権処理』これが後に深刻な影響を日本経済に及ぼし始めるのです。

ハゲタカファンドまで書きたいと思ってましたが、まだまだ書きたいことがつきません😅

バブル崩壊とは、不良債権処理とは、小泉内閣とは....私が知らなかった時代の面白さ、そして混迷と理不尽。

これらを知ることが、今の日本を知ることに繋がってくるのだと、薄々ながら感じています。

次回も『なぜ日本だけが成長できないのか』からお話していきます。

ここまでお読みいただきありがとうございます。また次回も読んでくださいね😉




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