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昭和のgifted-3 飽き性といわれた結果

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私の母は普通のことができない私をずっと心配してくれていた。今となってはそれが余計なお世話で私を卑屈にする最たる原因だったのだと思う。

母曰く、私は飽き性らしくひとつのことが長続きしない器用貧乏ということでひとつのことを極めるようにと言われてきた。

2歳から小学校を卒業するまで体操スクールに通っていたので中学では体操部に入ったが、顧問の専門がダンスだったため部活動の内容もダンスが中心になった。他の部員もダンスの方が楽しい、やりたいと数にものを合わせてダンスのレッスンの希望を押し切る癖に振り写しは私がいつも一番早く、誰もついてきてくれなかった。

覚えが早い分、やり込む時間も長くなるのは当たり前のことだ。私は仕方なしでもただただ一生懸命取り組んでいただけだったのに、「できない子に合わせて」簡単な振り付けに変更になったり、待たされる時間が増えて結局辞めることにした。

高校ではダンスの授業があり、全部満点をとっていたので当時の高校ダンス部の先生にも熱心に勧誘してもらったが「今のダンス部員のメンバーに中学の時に足を引っ張られて辞めてるし、あの子たち下手だから一緒にやりたくない」と断った。私としては素直に事実を伝えただけだったが、今思えばかなり性格が悪い言い方だったかもしれない。

中学で帰宅部になった私はたまたま自宅の近くにあった極真空手の町道場に通い、大人に混じって稽古に励み、大学受験を理由に引退する高校3年の夏までに初段をとって一区切りとした。

大学に入ってからはサークルではなく大学認定部活動の中からひょんなきっかけで箏曲部に入るのだが、ここでも部員ともめて退部を勧告されることとなる。
大学認定部活動なんだからサークル感覚ではなくやりたい人が集まってると思っていたのだが、どうやら私のストイックさについていけないという理由で退部者が続出して、残った部員への態度が悪いのが問題だったらしい。

クソ真面目で自分に非がないと思った私はOBや指導にきて下さった師匠方に一連を報告して退部はしたが、そんなに上手なのに勿体無いと師匠からは入門の提案もいただくもののここで決めると一生演奏会生活をしないといけないのだろうかと不安がよぎり辞退することにした。月謝やゆくゆくかかる費用がかかる点も考慮せざるを得なかった私はなぜか大学在学中からOB会へ招集され卒業後も数年間OB会の演奏会に出演することとなる。

大学在学中に箏曲部の演奏会で着物を着るので着付も習い出した。せっかく授業料を払うので元がとれるように師範免許まで取得した。着付の教室でも覚えは一番早かったが、そもそも習いに来てる人が母と同じくらいの年齢層で「若い子はの見込みが早いね」と言われていたのでそういうもんだと思っていた。

大人になってからも習い事をしてみたがどこに行っても「向いてる、素質がある」と言われてこの道しかない…!というよりそこまでやってないのにまたか…という気持ちになることの方が多かった。

空手も着付も箏曲も、それなりに極めたつもりではいたけれど、それでも母からしたらただの飽き性ということで、ダメ出しはされたが褒めてもらった記憶があまりない。(母としては褒めていたつもりらしいが)

学生時代はまだ大人にまじることでそれなりにワクワクや挑戦心みたいなものがあったと思うけれど大人になってからは「思いっきり」を嗜められることが増えたので、私は何事にもそれなりにしか向き合えなくなっていた。

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