昭和のgifted - 19 「優等生」ってなんだろう
前回のお話しはこちら
いつもコメントくださる熊さんがギフテッド=高IQ&優等生ってどうなんだ?って書かれていたのでコメントもさせていただきつつもう少し深掘りしたくなりました。
この記事を書くきっかけはこちら
私が幼少期を生きた時代、IQってそこまで認知されていなかった。
理解力が高いとか、恐らくIQ高いかも。と言われたことはあったけど「みんな同じでみんな良い」の時代のゆとり直前世代だったから学校の先生たちからは扱いづらい子供だったはずだ。
高校の時の担任の先生に卒業後10数年後ぶりに会ったとき「お前はいつも文句いいながらひとりで最後までやるタイプだったもんな〜」といわれて「だって文句いいながらでも私がやるしかなかったから文句くらい言わせて欲しかったよね!!」なんて会話したのを覚えている。
以前にも書いたかもしれないが、小学校と高校の頃私は美術の成績が良かった。
中学の頃は芳しくなかった。
そのからくりは何かというと、小中高一貫教育の学校で私が小学校のころ図工を担当してくれていた先生が高校教師の資格をとり、途中で高校教諭にジョブチェンしたからだ。
小学校の図工と高校の美術を担当してくれてた先生をA先生とする。
中学校のとき美術を担当してくれた先生をB先生とする。
A先生はクリエイティビティを重視する先生で、コラージュとかマーブリングからの作品作りが好きな先生だった。
「今日からは、こらっ〜!!!」
と大きな声を出し周囲の注目を集めてびっくりしている子供たちに
「じゅ。コラージュという勉強をしてもらいたいと思います」
というようなお茶目な先生だった。
今でも忘れない。A先生なんかじゃない、ひょうどう先生。(漢字忘れちゃったけど)この先生は私の描きだすものを評価してくれた。
きちんと評価してくれていたからこそ、小学生時代6年間の中で一度でも選ばれたらすごい!といわれる学校を挙げての美術展にニ回も選ばれた。
各学年100人弱、その中から各学年3〜4人程度が選出されて20展くらいを1年間の総決算として行われる展示会(ちゃんとそんな感じのギャラリーを借りて実施される)に二度も選ばれる、なかなかないことだよ、褒めてもらって両親もなんかすごいらしいよ!と言ってくれてた。
一方B先生が美術を担当した中学時代、B先生はデッサン史上主義でアイデアや想像力より緻密さをよしとする人だった。
デッサンや緻密さをただ言われたままに描くことが苦手だった私は「野菜を描く」という授業の途中で嫌になってど真ん中にかぶの絵を描いて提出したところ「上手なのに手を抜いてる感がいなめないからもっと描きたせ」と怒られた。
実写苦手だから描きたくないもん…
とは思い「ちゃんと課題の野菜は描いたじゃん!!」と主張したものの「適当にやるな!!!」と怒られて描きたしを強要された。
仕方なく余白の部分を埋めるようにいわれてかぶの葉っぱとかそれっぽく追加した。
その絵は未だに実家に飾られている。
B先生は緻密さを好む先生だったから緻密さを追求して努力すれば作れるアートを好んだ。
野菜の絵の次はデッサン、そしてアボリジニー風の作品作りだった。
想像力にふたをされた私はデッサンもアボリジニーも嫌いになっだ。
樹の皮に描画でアートをつくる種族がいて、今回はその表現技法を学ぶイベントです。
って苦行かよ!!!
って思った。
小学校の図画工作で評価されてたのに、一転して苦行を強いられる。だったら私なんか美術の才能ないわ…というか「美術嫌い、向いてない」と思うように貶められて諦めかけたころ高校に進学し、A先生に再開する。
小学校の頃私のクリエイティビティを評価してくれた先生が美術を担当してくれることによって、私の美術の成績はみるみる上がった。
美術部所属の生徒を差し置いて高校時代の美術の成績はずっと満点だった。
まぁA先生の価値観で教育された子供がそこそこ成長して再び邂逅したんだからそりゃA先生からしたら高得点取れる生徒なんだろうな…と思った。
翻って現実を見てみると美大や芸大の進学にはデッサンや緻密さの試験があって、そこで入試の判断をされるという大前提があるのを知ってB先生の主張が間違ってないことも理解できた。
ただ進学の検討をする頃には私は「デッサンや緻密さを強要されるのなんてクソ喰らえだ!!!」と思うほど自由に表現することが許されない現実を垣間見て美術の道を諦めた。
表現力があると評価されてるのにデッサンの集中力がないのがアートの世界で是なのであれば私の住むべき世界ではないと感じたのだ。
実際漫画家やイラストレーターに憧れる時期もあったが、模写や丁寧に描くことが苦手だった私は1枚の絵に何日もかかるのは才能がない、私は一発描きのタイプだから向いていないと思ってしまった。
大人になって漫画家さんやイラストレーターさんと交流する機会ができて、一発描きでそこそこかけるのと模写が上手なのは別の才能っぽいから描き続けてたらなんか違ったかも、と思えた頃には時すでに遅しだった。
個性を許さない時代に生まれた私は押し潰された。
想像力や表現力がものをいう教科(美術とか音楽とかダンスとか)の評価は並べてたかたったが、暗記がものをいう教科は大嫌いだった。
理屈やストーリー性がないものをただ覚えるだけは私にとって苦手だった。
これだけは暗記すべき、暗記できていなかったら解釈ができないから、という理屈を教えてくれた塾の先生に教えられた古典の基礎に関しては必要性を感じてすぐ丸暗記できてセンター試験も満点とれるくらいのとこまではいけた。
古典を書き残した人たちの当時の文脈を知るために理解しておく知識、という理由があればすんなり努力できた。もともと古文や漢字や和歌みたいなものは読めばすんなり情景が浮かんでいたが知識があることで説明もできるようになった。
私の小学校のクラスメイトにわかりやすく優等生の子がいて、彼のような人が優等生なんだなと今でも思っている。
以前書いた「なりたいもの」の詩を書く授業で私が「色鉛筆になりたい」と書いたとき、彼は「外交官になって国際親善に尽くしたい」と書いていたのだ。
母に「小学生で国際親善に尽くしたいって書いてる子がいてびっくりしたのにあんたは色鉛筆になりたいって書いててもっとびっくりしたわ!」と折に触れて言われてきたので未だに忘れない。
「なりたいもの」について書けっていわれたから書いたまでなんだけど私は自分のことしか考えてなかったや。と子供ながらにショックを受けた。
彼はその後灘中高に進学して東大に行ったそうだ。驚くほどテンプレ的な優等生がそばにいたお陰で私のトンチキさはより際立った。
やることなすことダメダメ言われて、わかりやすい優等生と比べられて、私なんかどうしようもない落ちこぼれだなぁと思わない日はなかった。
ギフテッドは理解され辛いから生き辛い。
わかりやすく優等生なんだったらいっぱい大人に褒められてもっと自己肯定感高くなれてたような気がする。
ギフテッド=興IQ&優等生
って定義はどこからきたんだろう。
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