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昭和のgifted-4 就職できない課税事業者

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大人になっても特に仕事に対してモチベーションの高い同年代の女性たちにはやっかまれる日々が続いた。

大学在学中に始めたホテルバンケットのバイトは卒業する頃にはかなり時給もあがっていて、準社員的なポジションも任されるまでになっていた。

就職活動は序盤は張り切っていたもののまだ永久就職が当たり前と思われていた時代で、いつかは独立したかったというのと、そこまで情熱を持てない企業に嘘をついてまで入りたいと思わないという理由で途中で就活を辞めてそのままホテルバンケットの仕事で社会人デビューした。

多くの後輩スタッフ達に指示をする立場になって仕事を教える中で尊敬の目で見られるようになり、私はようやく二十歳を過ぎてから“ものさし”は人によって違うことを知る。私が新人の頃はついてこれないなら辞めて行け、それでも変わりはいくらでもいる。みたいな職場環境だったがゆとり世代の後輩達が増えるにつれ恐怖制圧による人手不足が深刻化したのもあり、人を育てられるスキルも求められるようになった。後々仕事が増えるのが嫌だからとあれこれ世話を焼いてるうちに“面倒見が良い”という評価になった。

現場では評価されてたものの“偉い人”の八つ当たりにあい別のホテルのレストランに移動になったが、それがまずかった。

「仕事のできる優秀なスタッフが来てくれる」という事前情報とそつのない振る舞いが同い年の女性の正社員の癇に障ったのだろう。事あるごとに文句や嫌味を言われたが周りの同僚たちに「あいつはまだ子供なんだよね、だから木春が大人になってスルーしてけば良いよ」と言われ続けて苛々するのも怒るのも面倒くさくなった。

文章を書くことは褒められたこともあったし好きだった私はブログを書いたりしていたこともあって、レストランを卒業後上京してとあるメディアのフリーライターに登録したことがあった。

ブロガー時代は私の投稿が好きだと言ってくれる人がそれなりにいたのが、ここでも当該メディアの女性編集長には「木春の記事は読みにくいし面白くない」と散々干された。

「読みにくい」理由は教えてもらえず、「面白くない」は完全に個人的な主観と好みの問題だろうとそこのメディアに寄稿することはなくなった。

その後Webデザイナー兼コーダーを経てSNS運用に携わることになりマーケティングコンサルになるのだがこういうコンテンツはバズりそう!とか、こういう企画がフォロワーのニーズに刺さると思うなどいろんな施策を提案して実行してきたが、代理店案件などでは「それは木春さんにしかできないからパッケージにしにくい」とか「他のメンバーが出せるアウトプットレベルに合わせてもらわないと売りにくい」なんてことを言われて仕事でも「やりすぎ」を嗜められる日々が続いた。

「そんなの面白くない」

やりたいことを仕事として通すためのスキルを身につけて日本人なら名前を知ってる企業の仕事も直接受けれるようになり、個人事業主として11年が経ち今では良いのか悪いのか課税事業者になれた訳だがピーキーさを買ってくれるところでしか案件も成立しないし就職もできなかった。

世間一般から見れば悠々自適でしがらみなどに捉われない上でそれなりに裕福に暮らせる稼ぎを得ることができてはいるんだろうけど、私だって安定した暮らしに憧れる。

世間一般からすると「変わり者」「扱いづらい」と揶揄された結果、生きて行くために頭をフル回転させての今があるだけだと私自身は思うのだけれども、妬まれたり羨ましがられたりすることは“有名税”に似たような一種の諦めを持たざるを得ないのははたして“幸せ”なのだろうか。

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