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思い出の名馬〜府中が似合うプレクラスニー

江田照男、芦毛、エプソムカップといえば、1991年第8回、プレクラスニーが勝ったレースを思い出す。

前走で新潟大賞典を圧勝した関西馬、角田のトウショウバルカンを迎え撃ってのレースだったが、快速ぶりを発揮し初重賞制覇となった。

先行して直線も脚色は衰えないのがプレクラスニー。
フランス🇫🇷の種牡馬クリスタルパレスの血をひく。

後にヤマニンゼファー、ネーハイシーザーといった快速馬が出てくるが、1800から2000中距離における東京の長い直線で先行逃げ込み型のレースをする典型的な一頭だった。

この時のエプソムカップはプレクラスニーの試金石だったといえるが難なくクリアした。


この年の秋の毎日王冠、私は府中にいた。

どんよりした曇り空の中、まだ状態のいい府中の芝の上をダイタクヘリオスと共にデットヒート。芦毛の馬体が気持ちよく目の前を快走していった。当時としては速い1分46秒1。



そしてあの天皇賞へとすすんでいった。
世紀の降着劇、武豊メジロマックイーン。

プレクラスニーの単勝を握りしめてテレビを食い入るようにして眺めていたのを思い出す。パイロットフィルムが何度も登場し勝利インタビューに出てきたのが若い江田照夫だった時にはひょっとしてという複雑な心境。
レースはマックイーンがぶっちぎったレース。

やっぱり不良馬場はマックイーンにとっての独壇場だったかと感心しきっていたその矢先、審議の青いランプ。
長かった。非常に長かった。あの審議は。

G1で圧倒的1番人気の強者が降着。

東京の2000メートルの外枠のスタートの難しさが浮き彫りとなった。

なにはともあれ、単勝500円をとらせてくれたプレクラスニー。好きな馬だった。

東京5戦5勝。晩春S〜エプソムカップ〜毎日王冠〜秋天皇賞・・・。

この馬には府中の芝が似合っていた。


この記事は2005年6月に書いたものに少し加筆しました。

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