見出し画像

【厳格お父さん ④マリのはなし】


それは木曜日の夕方、ヤスナリさんが翔太に呼ばれて玄関へ向かったとき。
私は録画したバラエティ番組を見ながら、夕食の準備をしていたところだった。
「「地獄に落ちなさい!」」
外からヤスナリさんの声がしている。
あーこれが威厳ってやつね。しかし地獄、なんていうかね。
威厳ってやつを少し間違えてる気がするんだよね。
でもなんで「地獄」とか言ってるか私は知ってる。
ヤスナリさんの書斎の掃除をしているときに新作の小説をちらっと見たから。地獄についていろいろ調べている資料もあったしね。
彼と出会ったときの口癖が地獄、地獄だったんだ。すぐにこの世界のせいにして、有名になったもんだから好き勝手言われていることに生きにくさを感じて、この世は地獄だって言ってた。
「その時は地獄で食いあらためる!」
外から翔太の声がした。子供ってすぐ親の言い方真似するよなぁ。
勢いよく玄関が開く音がして、すぐに翔太が叫んだ。
「マリただいま!イヌ飼う!」
「どれー!何犬?」
「わかんない!でかい!」
玄関に向かうと箱の中にはふわふわとした毛並みの、ゴールデンレトリーバーみたいなイヌがいた。そのイヌは笑ってこちらを見ていた。
「カワイイ!!!!!」
私はすぐに心を掴まれ、イヌを撫で回しているのだった。
やれやれといった表情でヤスナリさんが家に入ってくる。
私は対象的ににやにやした表情でヤスナリさんを見ていた。
「…ジントニック頼むよ」
すれ違いざまにヤスナリさんが言う。
「はいはい」
昔から決まってる。ひと仕事終えたあとのお酒。

リビングにイヌがいるとそれだけで家の中がもっと明るくなるようだった。
「はいジントニック」
ヤスナリさんの前にお酒を置く。カウンターキッチンにあるペットボトルのトニックを、翔太がまじまじと見ていた。
「ねー置いてあるの、それサイダー?飲みたい」
「これはトニックだよ、苦いよ」
「トニックってなに」
「お酒わるものかなぁ、単体で飲むとかあんまり聞かないよね」
私はトニックのラベルをまじまじと見てみる。
「トニックって、元気づけるものって意味なんだ」
「元気づける?」
ヤスナリさんが口を開いた。
「もともと昔の人は病気予防で飲んでたみたいだけど、そこから元気にするとか、そんな意味になったみたい」
「じゃあこれ飲んだら元気になる?ひとくち!」
「あっこら翔太!」
「うえええ、サイダーのほうが全然うまい」
「だから言ったじゃん」
「こんなんおいしくないーシュギョウだ!」
「修行ね」
私はアニメで見たのか覚えたての言葉を使う翔太が可笑しかった。
「…修行、修行か…」
ヤスナリさんがなにかに気づいたかのようにおもむろに立ち上がり、部屋を出た。
ぶつぶつと言いながら書斎へと向かっていったようだった。

「…お父さんまたなにか思いついたのかな」
「かもね、いままたいろいろ書いてるから」
「ふーん。文章のなにがおもしろいんだか」
「ふふふ」
確かに翔太みたいにまっすぐ正直に生きてるような人間には伝わらないかもな。でも翔太が私のタブレットで、彼の文章の中の単語を調べたりしている履歴が残っているのを私は知ってる。
「翔太、あんたそのイヌお風呂入れてきて」
「はーい」
バタバタと祥太がお風呂場へ駆ける。
私はヤスナリさんが大好きな茄子の煮浸しを盛り付けながら、テレビに映る大好きなコントを見て、今日も幸せだと感じた。
「ぜんぶ間違ってない」



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?