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ハンデジン(半デ人)

「ご無沙汰していま〜す」、 「ひさしぶりだね」
なんていう会話で、オンラインで飲み会は始まる。

最近の集まりでは、リアルで会ったことが無いオンラインのみの友人も多い。 
画面には体の約半分が映っているが、残り半分は映像では映らないところに隠れている。
顔と上半身で飲み会に参加している。
知らないうちに、隠れている半分については、想像力を目一杯使って補い創っている。
足りない情報は過去の経験から、似たような顔つきや声の方の情報から勝手に付け足しているのだ。
(ハンデジンとは半魚人がごとく、顔と上半身は見えるが、下半身は想像で作られた虚像であり、ぼくの造語である)

だいたい想像するのは、

・男性だと身長は170センチ前半、中肉中背。
・女性の場合は身長は160センチ程度、細め。
・匂いは出てこない。 汗をかいている人が映し出されても不思議と
 匂いの感覚はない。

これらは、もしかするとぼくの好みなのかもしれない。


そして、オンライン飲み会の終わりには、
「次回はリアルで会いたいね」
こんな言葉で締めるのが定番だ。

ぼくは、
半年くらいオンラインでしか会ったことがない仲間たちがいた。
彼らは今も仲間だ。
自粛期間にはいる前だったので、友人関係になってから4,5ヶ月後に初めてその人達にリアルで会うことができた。

そのハンデジンたちとは、恵比寿のバーでおち合った、
ぼくたちは、「ZOOMで見るのと同じだね」、「へっ、○○さん?、イメージとおんなじ〜」、などリアルで会えたことの喜びを言葉にした。


リアルで会ったハンデジンたちは、ぼくの創った虚像とは違い人間臭かった。
・アルコールが入ってくると大声になるし、大声になってもボリューム調整できないウザったさはあった。
・顔が近くによってくると、それなりに嫌悪感もでた。
・横の人と話したいけど逆側の人と話していてこっちを見てくれなかったり。
などなど。

コントロールはできないが、画面に並んで見える正面を向いた顔の景色ではなく、アッチみたり、コッチみたりなのだ。

そして、バーから駅に向かう道すがら、元ハンデジンの身長がぼくの想像と違っていたことに衝撃を受けた記憶がある。
バーで座っているときには気づかなかったが、ぼくの想像に対して元ハンデジンは大きい人もいたり、小さい人もいたり、ぼくが創った虚像が崩された。
これがハンデジンの友人がリアルの友人になった瞬間だった。

自粛に入り、オンラインでしか交わったことがない人は更に増えた。
そのひとたちを思い浮かべると、身長、体型などの隠れた部分は、ぼくが勝手につくりだしている、どれもぼくが都合よく想像して似ているような気がする。

仮に、あるハンデジンの友人の身長が2メートルと想像してみると、ぼくの想像の枠を外れ、その友人との心理的距離まで変わってしまうだろう。
(試しに、あなたの友人であるハンデジンの身長が2メートル、体重150キロだったと想像してみてほしい)

ひとは、見えないところは自分がその人に持っている印象で、好都合に考えて創り出している。
また、悪印象の人は想像する気もおきない。 画面に映し出される顔だけのままだ。

もしかしたら、自分の中で決めつけをしているのかもしれない。 そして自分の都合を押し付けているのではないだろうか?

いま、ぼくはオンラインでコーチングを提供している。
部下や上司との人間関係をテーマに話をする場合も多数ある。

多くの人は、印象から自分でイメージを創り上げ、この人は苦手であると見ているのかもしれない。
「あの部長は、家に帰ってもいつも怒っていて娘さんにも嫌われているだろう」など。

このイメージが自分の中に媚びれつくと、そこから出にくい。

コーチングではこれを視点(見方)にハマっていると呼んでいる。
この視点にハマった状態だとなにかと、仕事もやりにくいし楽しくできない。

ハマった視点から抜け出してみてはいかがだろうか?
人間関係も変わってくるだろう
そして、仕事もやりやすくなるだろう

この視点にハマって自由な発想ができない状態にいると、自分の可能性も萎めてしまう。 コーチングでこの視点から離れて人生を見つめてみてはいかがだろうか?

さいごになるが、ハンデジンたちとリアルな場で会い、酒を酌み交わし、大声で話せる瞬間が妙に待ち遠しい。 

<おしまい>


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