見出し画像

日本の中のイスラエル ~童謡に隠された痕跡~

こんにちは。

今回は日本が現代イスラエルであり、その痕跡について日本の国歌と童謡から解説していきます。

日本の国歌と民謡はヘブライ語由来の物も多く、解読すると深い意味を知る事が出来ます。今回は日本で代表的な三つの国歌・民謡を紹介して、ヘブライ語で解読することで導き出せる本当の意味について解説していきます。

一、国歌「君が代」
二、民謡「さくらさくら」
三、民謡「かごめかごめ」
四、結び

一、国歌「君が代」

まず、国歌の君が代を例に出しましょう。
一般的に国歌の君が代の歌詞は、作詞者は不明であり、十世紀の平安時代に編纂された勅撰和歌集の「古今和歌集」の七巻「賀歌」の巻頭に「読人知らず」として、「我君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」とある短歌を初出としています。「君が代」は天皇においては「天皇の治世」を意味していますが、一般においてはこの歌を受ける者の長寿を祝う意味でした。この歌が利用された範囲は、歴史的にみれば、物語、御伽草子、謡曲、小唄、浄瑠璃から歌舞伎、浮世草子、狂歌など多岐にわたり、また箏曲、長唄、常磐津、さらには碓挽歌、舟歌、盆踊り唄、祭礼歌、琵琶歌から乞食の門付など極めて広範囲に及んでおり、「君が代は千代に八千代に」の歌が、安土桃山時代のの隆達にあっては恋の小唄であることは広く知られるところでした。この様に元来の歌では、「君」の語は多義的に用いられ、身近な長者など様々な者を指し示していましたが、時代が下るにつれ次第に天皇のことを意味するようになり、特に明治以降は一義的に天皇を指して用いられるようになりました。
では、「君が代」をヘブライ語で解読してみましょう。

ヘブライ語

קומ בא יהוה クンバ・ヤー・ワ
ציוני יהציוני שש שריד ישע נא チヨニヤチヨニ サッサリード・イェシャナ
יהוה אותי נראתַה イワ・オト・ナリテ
כֹל כנו מושׁמד コ(ル)カノ・ムシュマッ(ト) 日本語訳神よ、立ち上がってください!
シオンの民、神の選民! 残りの民は喜び、救いを待ち望みます!
神が御顔を見せてくださる
すべての基はキリストにあり引用元:国歌「君が代」の意味 – 日本とユダヤのハーモニー&古代史の研究 (historyjp.com)


次に、聖書を見てみましょう。

イザヤ書二十四章十四節~十五節 新共同訳
彼らは声をあげ、主の威光を喜び歌い
海から叫び声をあげる。
それゆえ、あなたたちは東の地でも主を尊び
海の島々でも、イスラエルの神、主の御名を尊べ。

拙者の過去記事「水田安美氏の国連演説を修正する | 真実のキリスト道を歩む (ameblo.jp)」で述べたように、日本の起源は古代イスラエルです。北イスラエル王国がアッシリアによって滅ぼされた時、預言者イザヤの預言に従って、イスラエルの十部族が海の道と絹の道を経て、大陸を渡って東の海の島々である日本列島に上陸しました。上述したように、君が代の歌詞をヘブライ語で解読してみると、主なる神を賛美する歌であり、我々日本人が聖書と最も関係の深い民族だと分かります。

近年では、国歌の「君が代」を軍国主義を彷彿させるものとみて、反日極左は国歌斉唱に反対しています。確かに非公式ではあるものの、日本の国歌に採用されたのは千八百八十年の明治時代ですが、それでも国歌自体に軍国主義は無関係です。「君」を天皇のことと絶対的に解釈したために、天皇崇拝と誤解されるようになっただけです。そもそも、皇室は幕末に真正保守の孝明天皇が薩長の討幕派に暗殺されて、朝鮮人に乗っ取られており、万世一系の皇統は途絶えているのです。反日極左を全面的に擁護するつもりはありませんが、戦後八十年余りも経過したこの現代において、未だに天皇を現人神と崇拝することは無意味なので今すぐに止めるべきです。神の被造物たる人間を崇めることは主なる神が最も忌み嫌う罪である偶像崇拝になるからです。

話は逸れましたが、主なる神を賛美する歌である君が代が千九百九十九年に正式に日本の公式国歌に採用されたのも、主なる神の憐れみと思うべきでは無いでしょうか。国歌の君が代を軽視することは主なる神の恩寵を無下にするようなものです。軍国主義や天皇崇拝の先入観は捨てて、君が代の歌詞の本当の意味を理解するべきではないでしょうか。

二、民謡「さくらさくら」

次に、さくらさくらを見てみましょう。
さくらさくらと言えば、日本の学校の音楽教育の定番の童謡ですね。日本古来を感じさせる旋律からするに、かなり古くから音楽教育で教えられてきたと思う人もいるのかと思います。しかし、実際に日本の音楽の教科書に初めて掲載されたのは千九百四十一年(昭和十六年)に文部省が出版した『うたのほん 下』が最初でした。因みに「さくらさくら」が最初に掲載されたのは、音楽取調掛撰「箏曲集」(千八百八十八年)です。これは五線譜による箏曲楽譜集の最初期のもので、全体は手ほどき曲を主体に構成された箏の入門的な曲集でした。十五曲掲載されているうちの四曲が新作、あとは江戸時代以来の既存曲で、「さくらさくら」はその第二曲目として「桜」と題され、掲載されています。第一曲目の「姫松」は江戸時代からある箏の手ほどき曲「岡崎」の替え歌で、原曲の「岡崎女郎衆、岡崎女郎衆、岡崎女郎衆はよい女郎衆」という歌詞では教育上よろしくないということで、「姫松小松……」と改めたものです。「岡崎」が近世邦楽最古の公刊譜「糸竹初心集」(千六百六十四年)に収載されているのに対して、「桜」に関する江戸時代の文献がありません。だからといって、新作というわけではなく、「咲た桜」の替え歌ですが、その「咲た桜」という曲に関する江戸時代の資料がないと言うことです。しかし、「箏曲集」に「旧咲た桜」と記されていることなどから、江戸時代以来の箏の手ほどき曲と考えるべきでしょう。

実際、その旋律は平調子という箏曲の最も基本となる調子に箏を調弦すれば、ほとんど隣の弦への移動で弾くことができ、手ほどき曲としては最適です。今でこそ、箏曲も楽譜中心に伝承されますが、江戸時代は口伝で、むしろ楽譜は非常に少なく、「咲た桜」のように簡単な手ほどき曲の楽譜がなくても、あまり不思議ではなかったのです。そのため、作曲者も不明です。従って、「さくらさくら」はよく「日本古謡」と言われていますが、歌詞は明治の作なのです。

それでは、「さくらさくら」をヘブライ語で解読してみましょう。

ヘブライ語

שקר שקר ייהוהי נה שרה ו מיותש כך יחיקסם כך קום כך ניאוהי זו יצרישעיה ישעיה מינה יכהן 日本語訳隠せ、偽りか、神は耐え忍び、死なれたが、生きておられる!預言は成就し、素晴らしいことが創造された神の救い、神の救いを呼び起こし、祭司として仕えよ!引用元:「さくらさくら」はヘブライ語の歌? – 日本とユダヤのハーモニー&古代史の研究 (historyjp.com)



「さくらさくら」をヘブライ語で解読したところで、聖書の該当箇所を見てみましょう。

ヨハネによる福音書‬十九章二十八節〜三十節 新共同訳‬
この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。 そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。 イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。


ヨハネによる福音書‬二十章一節〜十節 新共同訳‬
週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。 そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」 そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。 二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。 身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。 続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。 イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。 それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。 イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。 それから、この弟子たちは家に帰って行った。

このように、さくらさくらの歌詞をヘブライ語で解読して、聖書の御言葉を見ると、主イエスの十字架の贖いを示しており、主イエスに立ち返ることが求められているのが分かります。

三、民謡「かごめかごめ」

最後に、かごめかごめを見ていきましょう。
かごめかごめの童謡は江戸時代の有名な俳人である松尾芭蕉が伝えたとされる、子供遊びの一つでみんなで手をつなぎ真ん中に一人鬼になる人物が入り、ぐるぐると鬼の周りを手をつなぎ回ります。すして、鬼の後ろにいる人は誰かを当てて当たった人が鬼になるという遊びです。この行為は本来、神の依代で神ががりの舞が残ったもだとも言われています。しかし、今では歌詞の内容や遊び方をあらゆる視点から見て色々な都市伝説が出回ってます。

その一、流産説
流産説は最もよく知られています。かごめ『籠目』を『籠女』と表して解説して、意味を考えているようで『籠女』は妊婦を意味する言葉で、『いついつ出会う』は、お腹の赤子はいつお母さんと生まれて出会うのかという解釈になり、『鶴と亀』はおめでたい事の象徴ですが、『滑った』事で妊婦が何かで滑ってしまい流産したと解釈し、『後ろの正面だれだ』で誰かに突き落とされた。という意味の怖い話になるそうです。仮説では、姑が大事にしてきた息子の嫁が気にくわないので、階段から突き落としたと言われています。

その二、死刑説
「かごめ」は罪人を乗せる唐丸籠(とうまるかご)の意味で、籠に乗せられて護送される死刑囚をうたっているとの説。罪人は刑場に運ばれ、首を斬られる。後ろの正面に立っているのは自分の首を切り落とす介錯人というように解釈され、その落ちた首がどの介錯人にやられたのか、『首を切ったやつは誰だ』と探している様子を歌ったともされています。

その三、遊女説
江戸時代、遊女というのは「自分から進んでその道を選ぶ」というのは非常に稀で、多くの場合は「人さらい」であったり、「売られた子ども」が遊女になるというものでした。そして、そのような境遇の中で、一日中男性の相手をさせられて、いつ終わるのか、この生活からいつ抜けさせるのか、という思いが込められています。そして、その思いも虚しく、もうすでに「次の相手」の顔が見え隠れしているというのを「後ろ正面だあれ」という言葉で表現しているという都市伝説です。

その四、生贄説
かごめかごめは、農村で行われていた口減らしの対象となる、子どもを決める唄である。一人が目隠しをして中心に座って、他の子どもたちが囲うように回る作法だが、これには意味があると言われている。中心の子どもは、神からのお告げを受ける役目を果たして、生贄となる候補の子どもが周りを回る。そして、後ろの正面に来た子どもを生贄とする、神託的な儀式だとする説です。

その五、徳川埋蔵金の在処を示す暗号説
「徳川埋蔵金の在処」という説の中に、徳川家の家臣、服部半蔵は実は松尾芭蕉ではないのかという説があります。時は江戸時代初期、服部半蔵は徳川家康に旅に出させて欲しいとお願いし、家康はそれを条件つきで快諾しました。その条件とは「かごめかごめ」の唄を世に広めてこいというものでした。そして、服部半蔵は松尾芭蕉として「かごめかごめ」を詠みながら全国を渡り歩いたと言われています。しかし、服部半蔵がいた時代と松尾芭蕉がいた時代がどうしても合いません。服部半蔵は千五百九十六年没、松尾芭蕉は千六百四十四年に生まれ、千六百九十四年没となっています。これが事実であれば、松尾芭蕉が生まれる前よりもずっと以前に服部半蔵は亡くなっていたことになります。因みに、徳川家康は千六百十六年没となっており、これもまた松尾芭蕉とは時代が合わないことになります。このことから、二人が同一人物説は嘘だと言えます。

また、「かごめかごめ」が徳川埋蔵金の在処を示す暗号と言われる理由は、「かごめ」から最も連想しやすい「籠目」が、六芒星の形をしているからとも言われています。六芒星に関しては拙者の過去記事「西洋医学は魔術 ~国際赤十字社の闇~ | 真実のキリスト道を歩む (ameblo.jp)」で説明したとおりに悪魔崇拝の象徴です。そして、徳川家康と関係した佐渡金山、明智神社、土岐、駿府城、江戸城、日光東照宮を線で結ぶと六芒星になるのです。そのため、籠目から導かれる六芒星が埋蔵金の在処を読み解く鍵なのではと考えた説です。「とり」は日光東照宮、「鶴と亀が滑った」とは、日光東照宮には鶴と亀の像があります。そして「すべった」とは「統べった」と解釈すると、鶴と亀の像に何かを統一したという意味になります。「後ろの正面」とは、真後ろのこと。鶴と亀の像に朝日が差して影が伸びた場所には家康の墓があるのです。そして、そこには欠けた六芒星が刻まれているのです。「上が欠けた=上ではなく下」とすれば、下に何か埋まっていると言われています。

少し怖い話をして申し訳ありませんでしたが、ここで本題に入ります。

「かごめかごめ」をヘブライ語で解読してみましょう。

ヘブライ語

חגור מי חגור מי  カゴーミー・カゴーミーחגור נא נח נא תוריד カゴーナ・ナカナ・トリーהצית דיור יה עקר  ヒィツィ・ヒィツィ・ディユゥー・ヤ・アカーבנהתי צור קמע שובתת バナティ・ツ・カメア・ショーヴェッテהושאר שומם דלק フーシャー・ショーメム・ダラッ 日本語訳その一何を取り囲むのか?誰を囲んで守るのか?
封じて安置すべきものを取り出せ!
そして火をつけろ!燃やし尽くせ!社を根絶せよ!
造られたお守りの岩は功を奏することなく
焼かれた荒れ地は見捨てられた 日本語訳その二何を取り囲むのか?誰を囲んで守るのか?
封じて安置すべきものを取り出せ!
そして火をつけろ、燃やせ、社を根絶せよ!
お守りの岩は水が湧き、荒地が支配され水を引く!引用元:「かごめかごめ」の意味とは Part I – 日本とユダヤのハーモニー&古代史の研究 (historyjp.com)


「かごめかごめ」をヘブライ語で解読すると、失われた聖櫃(アーク)の在処を示していると同時にキリスト再臨でこの世が滅びる様相と新しい天と地が創造される様相が示されているのだと思われます。
ここで、聖書を見てみましょう。

詩編九十六編十三節 新共同訳
主は来られる、地を裁くために来られる。
主は世界を正しく裁き
真実をもって諸国の民を裁かれる。

詩編九十七編
主こそ王。
全地よ、喜び躍れ。
多くの島々よ、喜び祝え。
密雲と濃霧が主の周りに立ちこめ
正しい裁きが王座の基をなす。
火は御前を進み
周りの敵を焼き滅ぼす。
稲妻は世界を照らし出し
地はそれを見て、身もだえし
山々は蝋のように溶ける
主の御前に、全地の主の御前に。
天は主の正しさを告げ知らせ
すべての民はその栄光を仰ぎ見る。
すべて、偶像に仕える者
むなしい神々を誇りとする者は恥を受ける。
神々はすべて、主に向かってひれ伏す。
シオンは聞いて喜び祝い
ユダのおとめらは喜び躍る
主よ、あなたの裁きのゆえに。
あなたは主、全地に君臨されるいと高き神。
神々のすべてを超え、あがめられる神。
主を愛する人は悪を憎む。
主の慈しみに生きる人の魂を主は守り
神に逆らう者の手から助け出してくださる。
神に従う人のためには光を
心のまっすぐな人のためには喜びを
種蒔いてくださる。
神に従う人よ、主にあって喜び祝え。
聖なる御名に感謝をささげよ。

イザヤ書六十五章十七節~二十五節 新共同訳
見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。
初めからのことを思い起こす者はない。
それはだれの心にも上ることはない。
代々とこしえに喜び楽しみ、喜び躍れ。
わたしは創造する。
見よ、わたしはエルサレムを喜び躍るものとして
その民を喜び楽しむものとして、創造する。
わたしはエルサレムを喜びとし
わたしの民を楽しみとする。
泣く声、叫ぶ声は、再びその中に響くことがない。
そこには、もはや若死にする者も
年老いて長寿を満たさない者もなくなる。
百歳で死ぬ者は若者とされ
百歳に達しない者は呪われた者とされる。
彼らは家を建てて住み
ぶどうを植えてその実を食べる。
彼らが建てたものに他国人が住むことはなく
彼らが植えたものを
他国人が食べることもない。
わたしの民の一生は木の一生のようになり
わたしに選ばれた者らは
彼らの手の業にまさって長らえる。
彼らは無駄に労することなく
生まれた子を死の恐怖に渡すこともない。
彼らは、その子孫も共に
主に祝福された者の一族となる。
彼らが呼びかけるより先に、わたしは答え
まだ語りかけている間に、聞き届ける。
狼と小羊は共に草をはみ
獅子は牛のようにわらを食べ、蛇は塵を食べ物とし
わたしの聖なる山のどこにおいても
害することも滅ぼすこともない、と主は言われる。

イザヤ書六十六章十五節~十七節 新共同訳
見よ、主は火と共に来られる。
主の戦車はつむじ風のように来る。
怒りと共に憤りを
叱咤と共に火と炎を送られる。
主は必ず火をもって裁きに臨まれ
剣をもってすべて肉なる者を裁かれる。
主に刺し貫かれる者は多い。
園に入るために身を清め、自分を聖別し
その中にある一つのものに付き従い
豚や忌まわしい獣やねずみの肉を食らう者は
ことごとく絶たれる、と主は言われる。

このように、「かごめかごめ」の歌詞からも、聖書の終末預言の要素もあり、真のキリスト者は主イエスが新しく創造される天と地に住まうことができますが、天地創造の時代から命の書に名を記されていない(信仰から脱落して命の書から除名された者も含める)選ばれてない大多数の者はキリスト再臨で滅ぼされて(キリスト再臨以前に死んで陰府に下った真のキリスト者以外の者も含める)、最後の審判で第二の死に引き渡されて、地獄で永遠の責め苦を受ける形で滅ぼされることを暗示していると感じます。この世は間もなく主イエスの昇天から二日後(二千年後)に当たる西暦二千三十一年で六千年の期間を満了して、終末を迎えようとしています。全人類の救いの恩恵期間が終わる終末の三年半の大艱難時代を差し引くと、人類のために残された時間は三年もないのです。

四、結び
他にも沢山の日本の民謡の歌詞がヘブライ語由来のものも多く、ここで解説しているのはほんの一部に過ぎません。詳しくは「民謡の囃子詞をヘブライ語で解読 – 日本とユダヤのハーモニー&古代史の研究 (historyjp.com)」の記事が参考になるかと思います。日本の民謡がヘブライ語由来であると知ったことをきっかけに、聖書に関心を持つ人が増えて下さると幸甚です。

皆さん、全人類の救いの恩恵期間が終了する大艱難の幕開けまで本当に残された時間は少ないです。これから先は主イエスが預言された通りに世界各地で戦争や災害などが多発していき、聖書を学ぶことは日増しに難しくなりつつあります。手遅れになる前に聖書の学びに一生懸命励んで、真の聖書福音と預言のミカエル氏のブログ記事を最初から最新記事まで読み進めることを推奨します。

『目を覚ませ』こんにちは。 普段、あんた方が気にも留めてへんことについて、非常に重要なことを書きます。拙者もこの社会に疑問を持ち、最近になって暴かれた事実を沢山見つけ、確信…

ameblo.jp


キリスト道世の諸教会や諸教派が教える偽福音ではなく、本物の聖書福音

the-way-of-christ.themedia.jp


拙者はミカエルさんの管理する「神のイスラエル教会」参加に向けて活動中の未熟者ですが、この記事を読まれている読者の皆さんも宜しければ共にキリスト道を歩んでいこうではありませんか。

最後までご覧頂き有難うございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?