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「学会員にはいい人が多い」について思うこと

 こんばんは。宗教2世のキネシンです。久々のブログ更新です。
今年の3月に大学を無事卒業して大学院生になりました。最近は創価学会について考えることも少なくなり、ブログを見る時間も書く時間も随分少なくなりました。少しずつ過去の傷が癒えてきたのかもしれません。今後も細々とブログを続けていくと思いますが、また見に来て頂けると嬉しいです。

 元々創価学会でそこそこ熱心に活動していた人は何となく分かると思うのですが、会の中には「学会員にはいい人が多い」という共通認識がうっすらあるように思います。もちろん、例外も沢山あって会の中で嫌な思いをした人も沢山いると思いますが実態はともかくとして、今回はこの共通認識について自分なりの考察をまとめてみようと思います。

 まず私は宗教をやっている人にいい人が多いというのは、ある意味当たり前だと思っています。なぜなら、①彼らは教えに基づいて善人であろうと努力していることが多いし、②自分の良い姿を見て他の人にも自分の宗教に入ってもらいたいとどこかで思っている場合もあるからです。

まず①については、特に創価学会の中で「人のため」に尽くすことを善とする教えがありますし、私は創価高校に入ってから、身の回りの人や、後輩、友達のために自分を犠牲にする行動を多く見てきました。私自身もそれが良いことだと思っていたので、そうしていたような気がします。ただ、この考え方は一見素晴らしいように思えるかもしれませんが、私は手放しには賞賛できないと思っています。
 なぜなら、人のために尽くすことばかり考えていると、自分を大切にする余裕が無くなってしまうからです。もし世の中の皆が利他的なギバーだとしたらお互いに力を尽くして助け合っていくことができますが、生きているとどうしても利己的なテイカーと遭遇することは避けられません。世の中には人を搾取することを何とも思わないテイカーがどうしても一定数います。自分がギバーとなって見境無く献身的な行動をしているとテイカーに搾取されてしまい、自分が疲弊してしまうことがあります。このことが適応障害やうつ病といった精神疾患の原因の一つになることもあるので、注意が必要だと思っています。私の実感としては、創価高校のなかでは素直で教えに従って献身的な先生や友達が多く、助け合いが成立していましたが、卒業して外の世界に出てからも同じ事を続けていると、時に自分の心が消耗していくだけのこともあるので、ほどほどにして自分のことを大事にしたほうが精神衛生上良いと思いました。また、会の中で生きていて「人のため」がいつの間にか、広宣流布という大義名分のため、創価学会という組織のため、池田先生という師匠のため、にすり替えられて搾取されていないか、一度立ち止まって確認する必要があると思います。

 ②に挙げた、自分の姿をみて他のひとに自分の宗教に入ってもらいたいと思っているケースについては、勧誘の盛んな新興宗教に多く、創価学会も例外ではないと思います。これは、社会との軋轢を生みやすく、問題になる点だと思います。
創価学会では、よく「友を励まそう」と言われますが、そこには、相手を励ました先に相手に入信して欲しい、バリ活になって欲しいというエゴが隠れていることが多いのではないでしょうか。
この場合励ます側はあまり意識しないのかもしれませんが、励まされる側からすると、入信することやバリ活になることには現実的に色んな負担が伴います。例えば、家族や友達との関係が悪くなる、仕事や勉学に支障が出るといったことが考えられます。しかし、励ます側はあまりそのことを理解していないように思います。
学会員の人から“励まし”の言葉をかけられたとき、その裏に隠れたエゴを感じ取り、嫌な気持ちになる人がいる原因の一部はこういったことにあると思われます。

 以上、自分なりに「学会員はいい人が多い」についてまとめてみました。個人的には、いい人になろうと過ぎて自分を犠牲にしていないか心配なのと、客観的には、この人は勧誘とかさえしてこなければいい人なのに、と思われていることが多いのかなと思いました。


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