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宗教2世の経験とその違い:イスラム教と日本の宗教環境

はじめに

 最近、ある記事を読んで、自分の宗教的な背景について改めて考える機会がありました。

”「イスラム教徒、やめました」礼拝を欠かさなかった30代イラン人男性が心変わり!その根深い事情とは”
若宮總:イラン在住日本人
国際・中国あなたの知らない「イラン」
2024.8.22 7:00
https://diamond.jp/articles/-/348569

 記事では、イスラム教徒として生まれ育った人々の体験が紹介されており、彼らがどのように宗教との向き合い方を変えていったのかが描かれていました。この内容を読んで、自分自身の孤独感や葛藤と共通する部分があると感じる一方で、イスラム教と日本の宗教環境の違いにも気づきました。今回は、イスラム教の2世と日本における宗教2世の違いについて考察し、その違いが私たちの孤独感にどのように影響するのかを探ります。

宗教2世の共通の体験

 多くの宗教2世が共通して経験するのは、宗教が親から引き継がれることの自然さです。宗教的な価値観や慣習は家庭内で受け継がれ、子どもはそれを当然のこととして受け入れます。そして、そのような環境で育った宗教2世の子供にとって宗教は自分のアイデンティティと深く結びつく存在となります。しかし、思春期を迎えたり、自分自身の価値観が形成される過程で、育った環境や当たり前として受け入れてきた価値観が大きく崩れることがあります。また、棄教や異なる信仰への移行は、周囲からの批判や孤立感を伴うことが多いです。私は産まれたときから勝手に親に入会させられていたのにも関わらず、創価学会の教えでは、信仰をやめて脱会すると地獄に落ちる、恐ろしい目に遭うとされていました。イスラム圏の国であるイランでは、もちろんムスリムの親の子供はムスリムになるし、棄教が明るみに出ると死罪だそうです。

イスラム教2世の特異点

 イスラム教は、イスラム国家では国の文化と密接に結びついています。1970年代末のイラン革命以降、イスラム法が政治と社会の基盤となり、国民はほぼ全てムスリムとされています。そのため、イスラム教の2世は、周囲が同じ宗教の信者であるため、社会的な孤立感は比較的少ないと言えるでしょう。宗教が社会の一部として深く根付いているため、棄教に対する社会的圧力も強いですが、その分宗教的なアイデンティティを共有することで孤立感が和らぐこともあります。

日本における宗教2世の状況

 一方、日本では宗教が多様であり、宗教2世としての経験は異なります。日本では宗教が日常生活においてあまり目立たず、多くの人が宗教に対して無関心です。宗教的なアイデンティティを持つことは、特に少数派である場合、孤立感や違和感を伴うことがあります。自分の宗教的な価値観と周囲の文化とのギャップが、時には深い孤独感を生むこともあります。

結論

 宗教2世としての経験は、地域や文化によって大きく異なります。イスラム教の2世は、宗教が国の文化と深く結びついているため、社会的な孤立感が比較的少ない一方で、日本のように宗教的多様性がある社会では、孤立感や違和感が強くなることがあります。それぞれの環境で孤独感が和らぐ可能性を見つけることは難しいかもしれませんが、世界中に同じような経験をしている人がいることを知ることで、少しでも心が軽くなるかもしれません。

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