見出し画像

中2の夏で義務教育から離脱したけどそれなりに幸せだよって話③

どん底の日々

中2になった

クラス替えを経て、中2になった。中1が辛かったので、ぜっっったいに中2は楽しい一年にするんだと躍起になっていた。

幸い一緒にいる友達ができ、部活のない日の放課後に遊んだりもするようになった。
でも、突然避けられるようになった。

最悪な日々

急にその友人グループに避けられるようになった。トイレに一人で行くだけで、「あいつは一人だ、友達もいない。」と言われるようになった。
去年の一件もあり、もう余力が無かった。最終的には校外学習かなんかのグループ分けで1人になって、入れてもらったグループの人にも散々悪口を言われて数日学校に行かなくなった。この時の相手の名前は全員覚えている。絶対に何があってもその人たちの名前は子どもにつけないと今でも誓っている。
その後夏休み前になんとか復帰した。どうやって復帰したかは覚えていない。最後の底力だった。

夏休みが明けて

ここで最後の底力が切れたと思う。
なんとか夏休み明けも学校に行ったが、体育祭の練習のときに、悪口を散々言われた。
もう全てがどうでも良くなった。今まで頑張ってきた勉強も部活も、、、人生も。
夏休みが終わったら、何かが変わってるかもしれない。そう思って頑張ってきたけど何も変わってなかった。
夏休み中、毎日部活と塾に通い続けた日々は何の意味もなかったのだと感じた。だって一番に時間を費やす場所は学校のクラスなのだから。そこで平和に過ごせないのなら、なんの意味もない。

全てを捨てた

最初は体調が悪いとか言って休んだが、すぐに正直に行けない理由を話した。親を悲しませた。親が学校にも相談に行った。でも何も変わらなかった。私自身も、もう学校に行こうという努力も捨ててしまった。
塾も辞めた。塾長は、学校に行かなくても他の生徒と時間をずらして塾にだけでも来たらどうかと言ってくれた。とても嬉しかった、でもその善意も拒否した。今更ながら、勉強は続けておけばよかったな。
毎日毎日泣いた。両親も泣いていた。父親は私が学校に行くまでご飯を食べないとか言い出した。それは3日ほどで終わったけど、ちょっと叩かれかけたこともあった。死ぬほどそのあと謝られたけど、その時は心の底から死んでほしいと思った、なんでこの苦しみをわかってくれないんだろうと思った。
唯一母親は寄り添おうとしてくれた。でもどちらにしても両親ともに心の底からは寄り添ってくれなかった。
両親からなぜ学校に行けないのかと責められた。本当に辛かった。少しずつ受け入れてくれるようになって、そこまで言われなくなったけど、当時は本当に辛かった。

でもきっと、両親も私と同じくらい辛かった。いや、私よりも辛かったのだろう。
こうして中2の夏から私の不登校生活が始まった。



※ちなみに
今は家族で仲良いです、喧嘩はしますが⸜(  ⌓̈ )⸝笑
実家暮らしでぬくぬくやってます(  ◜௰◝  )笑

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?