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中2の夏で義務教育から離脱したけどそれなりに幸せだよって話④

不登校の日々

毎日家にいた

中2の夏休み明けに不登校になって、毎日家にいた。見事に義務教育から離脱したのである。
安らぎの時間は親が仕事に出かけた昼間だった。誰にも何も言われず、ただひたすらに時が流れていった。定期的に押し寄せる虚無感と、何で普通の生活が送らないのだろうという気持ちと闘ってはいた。
もちろん親は学校に行くことを望んだけれど、どうしても行けなかった。

何度も担任が家に来たり、時には夜に学校に行って授業を受けたりもした。ただひたすらに人に会うのが怖かった。まだ誰かが学校に残ってるんじゃないかと思うと、夜でも学校に行くのが怖かった。
時には母とフリースクールの見学に行ったり、心療内科で心理カウンセラーと面談したりもした。
でも何も変わらなかった。きっと私の中で、学校に行こう、というもう気持ちが消えてしまっていたからだと思う。

しばらくこんな生活だったが、いつからか別室登校が始まった。ここで同じ境遇の生徒と関わることになり、少し心が軽くなった。人と話さなくなって悪くなった滑舌も少しだけ回復した。
このころテストだけは教室で受けなければ行けないと言われ、テストが始まる瞬間に教室に入り、チャイムがなったら別室に急いで戻るという謎の行動もしてた。こういったことも認められていたので、それなりに恵まれていたとは思う。

進路についてと人生の転機

中3なので、高校をどうするか選ばなければならなくなった。この頃の私の夢はヘアメイクさんになることだった。どうしても美容専門学校には行きたかったので、そのためにも高校には行かねばと思っていた。
不登校で内申が悪くても、それなりに寛容に見てくれる高校のオープンキャンパスに行ったが、周りはみんな仲良しな感じで、とても3年間通えるとは思えなかった。
そんな中、人生の転機が訪れた。そのオープンキャンパスに行った高校に通信制があったのだ。

通信制高校という選択

通信制のコースがあると知り、ひたすら携帯で調べた。
校則はないに等しく、通学も週に1回。不登校だった人も、ヤンキーやギャルも、普通の高校を辞めた人もいる。勉強をしようが仕事をしようが自由。髪を染めたっていい、大嫌いな自分を隠すためにメイクをしたっていい。絶対に通信制の高校に行きたいと思った。

親と学校からは散々反対された。一度普通の高校に行って、通えなかったら通信制に行けばいいのではとも言われた。でも、高校に行ってまで心が折れたら、もう2度と立ち上がらないと思った。だから初めて意見を曲げなかった。
親もようやく認めてくれて、受験というなの親同伴の面接があった。あっさりその場で合格になった。

中学生活のピリオド

卒業式だけ出て中学校を卒業した。約半分は教室に行ってないのに卒業証書をもらえた。義務教育とはありがたい制度だと思う。

卒業式の次の日にバイトの面接に行った。どんな生活がこれから待ってるのだろうとわくわくしていた。
だがその次の日、3.11 東日本大震災が起きた。
停電や断水はしたものの、幸いにも自宅や家族、知り合いなどに被害はなかった。
今まで死にたいと何度も思ってきたのに、3.11で本当に死ぬような思いをし、初めてまだ生きていたいと心の底から思った。たくさんの人が亡くなったり悲しい思いをした。今でも辛い思いをしてる人が沢山いる。もう二度とこんな悲しいことは起きないでほしい。

最後の最後に、まだ生きていたいという感情を取り戻し、私の中学生活は幕を閉じた。
高校生活へ続く。



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