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個性学②:性格は、人それぞれコンテクスト(状況)に左右される

MBTIなどの性格診断について、自分なりの見解を述べたいと思う。
前回の記事に引き続き、こちらの本を参考にした。凄く良い本。

性格を巡る論争

「あなたは外向型?内向型?」

何の変哲もないこの質問で、戦争が起きかねないとしたらどうだろう。
実は、かつて心理学で激しい論争の火種となったヤヴァイ質問だったのだ。
テーマは、人格の本質である。刮目せよ。

第一陣営は、特性論心理学者。彼らは、「人格は、いかなる状況でも変わらない不変の要因である」という考えだ。行動は、外向性や内向性などの不変の特性によって決定されると論じる。

第二陣営は、状況心理学者。彼らは、「行動は文化や状況によって促される」という考えだ。例えば暴力的な映画を見ると、性格に関わらす誰でも攻撃的になりやすいと論じる。

この血みどろの論争に、終止符を打つ英雄が現れた。ワシントン大学の正田祐一教授は、古くからの前提に拘らず、どちらの陣営にも味方しなかった。
彼は、条件(if)と帰結(then)のシグネチャーによって、人それぞれ特定の人格パターンを示すのでは?という仮説を立てたのだ。つまり人の行動は、個性にも状況にも影響されると論じたのだ。

ある女の子はカフェでは外向的だが遊び場では内向的。別の女の子は逆の傾向を示した。それらの平均を取って性格タイプ(特性)を診断すると、重要なディテールを見逃しかねない。さらに、同じ状況に置かれても人によって行動パターンは異なる。正田によって、特性論も状況論も否定された結論が提出されたのだ。詳しく説明しよう。

本題: コンテクストの原理

攻撃的な男の子はどっち?

 次のイラストは、正田の調査結果を基にして、二人の少年の攻撃性を条件と共に示している。二人に標準的なアンケートを実施したところ、ふたりの攻撃性はほぼ同じレベルと評価された。特性論の発想で解釈すれば、二人の将来は暗い。
 しかし、追加の調査で隠された特徴が明らかになった。ひとりは仲間と一緒のとき攻撃的で、大人に混じると大人しい。もうひとりは大人と一緒のときだけ攻撃的で、仲間といるときは大人しい。
コンテクストによって、ふたりの攻撃性は大きく異なるのだ。ふたりへの対応は、はたして同じもので良いのだろうか。

※参考図書より拝借

正直な女の子はどっち?

別の研究で、正直さもコンテクストによって異なることが分かっている。
生徒の道徳性には一貫性がなく、正直さは特別な状況(環境条件)によって左右されるのだ。※イラストにおいて、右側の生徒は正直さがほぼ一定だが、このようなケースは例外中の例外だと強調されている。
道徳心は人格的特性とは言えず、思いっきり状況に左右される代物なのだ。信頼できるあの人も、状況が変われば一変する可能性を示唆している。

※参考図書より拝借

 ちなみに、マシュマロテストをご存じだろうか。簡単に述べると、
{目の前にマシュマロを置き、15分待てば二つ目のマシュマロがもらえる。マシュマロを我慢できた子供は自制心が高いので将来有望で、学業成績が良く年収やら地位が高い}
という有名な研究であり、教育界や心理学界隈に爆発的な影響を与えた。

 マシュマロを我慢できるかどうかも結局はコンテクスト(大人が信頼できるかどうか)に左右される。つまり、従来の評価手段では自制心が強いとされてきた子供も、状況次第でマシュマロを我慢できなくなるのだ。マシュマロテストでは「本質的な自制心」は測れないし、そんなものはない。と、証明した研究が、この本で紹介されていた。自制心すらも環境条件次第で、しかも人によって異なるのだ。

筆者の状況別性格パターン(16タイプ)

筆者を例に、環境条件によって変わる性格パターンを考えてみる。
 例えば、人と話すときはenfp(広報運動家)となる。長年培ってきたイジられ気質と、楽観性や柔軟性を表に出し、人との関係を円滑にしようとする。ただ、自分より社交的な人やオラオラ系が多い環境では、infp(仲介者)っぽくなる。これは、萎縮して外向性が出しにくくなり、内面世界に閉じこもるからだろう。ただ、深く考えることで発言の重みが増すため、悪いことだけではない。
 そして、文章を書く時はどうだろうか。どちらかというと、intp(論理学者)っぽいなと思う。文章を書き出すと何故か別の人格が宿るので不思議だ。だからといって、記事によって人格が変わるかというと、そうではない。世界の仕組みを解き明かしたいという本能は変わらないのだろう。ちなみに、大学院で研究しているときも、勝手にintpになる。

つまり、
if 社交性が必要なとき then ENFP的振る舞い
if 内側に籠もりたいとき then INFP的振る舞い
if 1人で考えているとき then INTP的振る舞い
という条件(if)と帰結(then)で自分の性格の大枠を捉えている。

特性は神話である

「君は外向的な人間なのか?いや、内向的な人間なのか?」
著者の答えはこうだ。

「我々が持つのは外向と内向の、どちらか一方だけではない。二つの人格の両面を持ち合わせているのだ。」

条件によってそれぞれの人格が表出する。どんな環境でも特定の不変の特性が表出するわけでは無いのだ。

筆者(私)の意見

性格診断は悪ではない。むしろ、有効活用すべき。

 参考図書の中で、MBTIやエニアグラムといった性格診断はやんわりと否定されている。それは、これらが特性論を前提に設計されているからである。これら性格診断は、我々にはどの条件でも不変な性格パターンが備わっているという前提で構築されている。しかし、その前提は間違っていることをここまでで述べた。

 だからといって性格診断の価値が無くなるのかというと、そうでは無いだろう。なぜなら人は、特定の環境条件では一定の人格パターンを示すからだ。職場における人格が知りたければ、その状況を想定して診断すればいい。一人でいるときの人格が知りたいときも同様だ。

まとめ

私たちに、「本質的な性格」などがない一方で、特定のコンテクストで首尾一貫していることを述べた。

「個人とは、様々な場所で進化していく高次元のシステムである」
ーーーペーター・モレナール、ペンシルベニア州立大学
我々の真実は想像以上に複雑であり、確かに高次元のシステムなのだ。

人はそんなに単純じゃないって?そんなこと分かってるよ!
それでも俺は…動物占いとかサイコパス診断とか大好きなんだ!

恥じることは一つもない。
その診断結果も、とある条件では間違ってない可能性が高い。
というか、面白いなら別にいいじゃないか。
最後にずっと言ってみたかったセリフを言わせてもらおう。

「俺って実はサイコパスなんだぜ?もし俺を怒らせたら…わかるよな?」

よし、満足。

※マジのサイコパスは一般人と脳の構造が違い、不安をほぼ感じず極端に共感性が低いらしい。つまり、サイコパスっぽく振る舞うことはできたとしても、本物のサイコパスには一生なれないだろう。

今後の展望

 今回の記事は、性格診断に否定的な輩への反論として使ってほしい。一応エビデンスもちゃんとあるし。 
 個性学シリーズの次回は、迂回路の原理についてだ。ゴールに至る道は一つではなく、人それぞれという内容であり、ここまでの話から内容の想像は難くないだろう。
よって、筆者が面白いと感じた具体的な調査結果を盛り込む予定だ。
乞うご期待。

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