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循環型社会の手本!?~江戸の町

資本主義の
 
 大量生産→大量消費→大量廃棄
 
と言う流れの中では、資源の無駄遣いとごみの山が生まれます。
そこで少しでも、それを減らすために「省エネ(節約)」「リサイクル」「リユース」「シェアリング」が行われています。
しかし、最終的に多くのごみが生まれ、たまっていくことは避けられません。
「循環」させるには、ゴミ自体を「資源」にする必要があります
 


実際、300年前の江戸の町は、かなりの循環型社会でした。
生活に使うものやエネルギーのほとんどを植物資源にたよっていました。
そして、最後の最後まで使い切りました。

例えば、人の糞尿を肥料として活用していました。
人の消化能力はそれほど高くないので、糞の半分は未消化の食べ物の残りかすが入っています。
栄養素が入っています。
それを集めてさらに発酵させるとかなり良質な窒素肥料になり、江戸の人たちは「肥溜め」をつくって利用していました。
最近は見られなくなってきましたが、つい70,80年前の農村にも「肥溜め」がありました。
 
発酵させて肥料にしたものを畑にまいて、作物を育てる。
その作物を食べ、排せつしたものをまた肥料にして使用する・・・。
ある意味、究極のエコサイクルです。

今は、化学肥料が誕生したので、人間の排泄物を肥料にはしなくなりました。
糞尿は下水に流し、下水処理場できれいにして川へという流れなので、ある意味、もったいないとも言えます。
 
また、江戸の大都市でも、この糞尿のリサイクルのお陰でかなり衛生的な都市になっていました
同時代のヨーロッパは逆で、今でいう「おまる」のようなものに排せつ物をためて、いっぱいになったら家の前の道端に捨てていました!
人間は排せつしないわけにはいかないので、道に排せつ物がたまる一方で、感染症が広がる温床になりました。
また、道の端を歩いたり、かかとを高くした靴を使用したりしないと、服の裾が糞尿で汚れることになりました。
それをさけるために「ハイヒール」も発明されていました。
当時は男性もはいていたそうです。
 
江戸時代では来ていた服(着物)も、最後まで使い切っていました。
大人の着物が古くなれば、子供用にしたり、小さく切って穴が開いたところの継あてや布おむつがわりにしていました。
さらに、使い終われば、火を起こすときの着火剤にし、燃え残った灰は、「洗浄剤」にしました。
洗浄剤にしない灰は、木綿を育てる時の肥料にし、木綿が大きくしっかり育てば、それを原料に着物(服)を作りました・・・。
 
大量生産できず(せず)、物が少ない分、知恵を絞って、使い切る、次に生かす発想が常にあったんだと思います。
資本主義の大量生産・大量消費(大量廃棄)、効率化が、そんな、ものを大切にする暮らし方を奪ってしまったという見方もできます。
 
江戸の町に戻す必要はありませんが、日本には、世界にはなかった循環型社会のモデルがあるというところが強みだと思います。
 
皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いで す。

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