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浪人、私はどこに向かうの。

私は浪人をした。すごく辛かった。
誰にも話せなかった。家族にも担任にも、顔では笑っていたが誰にも話せなかったことをそっと世の中に投下しておきたいと思った。
去年一年まさに自分の心を牢獄に閉じ込め、人格の全てが大学に染まった。
10月から2月までおかしくなりそうだった。ホームで電車を待つことが怖かった。いつ自分が飛んでしまうか分からず、そしていまだにどうしてあんなに辛かったのかよくわからない。兎に角、全てが恐ろしかった。時間が過ぎること、高い所に登ること、電車に乗ること、ホームに行くこと、
そして全く成績が上がらないこと。
世の中の全てが学歴に見えてきた。自分の好きな作家、俳優、YouTuber、ラジオパーソナリティ。自分がなってみたい人、憧れる人、全て頭が良かった。旧帝大、march、、、それら全てが自分を苦しめた。そして、順調にA判定を取り結局第一志望に受かる優秀な友達。えげつなかった。
友達の傍、自分は多くの初歩的なところで躓いた。擦りむいた心と体を見て、自分がどうなっていくのか全く分からなかった。自分がやってることが正しいのか間違ってるのかずっと考えていた。正解なんてないかもしれないけれど、正しい方向はある。それを必死に探した。例えば、休むこと、頑張ること、長時間勉強すること、短期集中でスパッと辞めること、自分の中の頼りないコンパスを信じるのは恐ろしい。
浪人生活を端的に書けば、特筆して書くこともいない、知らない九種類の科目の知識を口の中に毎日胃もたれするほど詰む生活。そしてひどく醜く輝いて見える学歴を追ってもいいのか悩みながら、追い続ける生活だと思う。
結局、12月になってもまだまだ足らないとこだらけ、結局共通テスト対策も遅れに遅れ、失敗してしまった。また現代文ではいつもはやらない時間配分のミスで15分でとき、リスニングではマークミスをしてしまった。絶望した。耐えられない辛さに何時間も最寄り駅の近くの徘徊した。この一年何だったのか。このまま雲隠れしようか、本気で死ぬことが一番楽だと思った。生きてる必要性を感じなかった。偶々生まれた命、辛いなら投げ出してしまいたいと。
また、同時に俯瞰して見れば、おそらく5年10年すればどうってことない。あんなの大きなことではないと思うだろうと感じた。しかし、それはその辛さを知り、長い時間をかけて消化していったからそんなことを感じるのであろう。その時の私には、どうすることもできない大きな大きな失敗だった。
さらに共テの失敗を引きずり、私大入試は全敗。何が何だかわからなかった。不合格をウカロで見るたびに徘徊を繰り返した。もしかしたら異世界の扉でも見つけて全く違う世界で生きれるのではないか、朝起きれば、赤ん坊として生まれ変わってはいないか、そんな馬鹿げたことを考え、本気で自分から抜け出したかった。自分の体から解脱したかった。服を脱ぎ着するように、自分の体を脱ぎたかった。
ただ私は私立は志望度が低く、国立大学に行きたかった。なので、まだ第一志望は終わっていないと言い聞かせ,何とか毎日生き、最後頑張ろうと踏ん張り、一日中勉強した。どうしたら受かるか悩みながら奮闘した。
結果として、国立大学のみ合格した。嬉しかった、と同時に何か喜べなかった。嬉しいのか分からなかった。ほっとしたし、よかったとも思ったし、嬉しかったはず。でもその時にはもうすでに心が壊れていた。
自分自身を結果という事実が否定し続け、心が自分自身から離れたがった代償は大きかった。コロナの後遺症のように、周りに起こったこと、素敵な環境、友達にもどこか自分の心は体の中にないような状態で常に接していた。
私は今でもこの後遺症が治らず、たまにすごく落ち込むし、朝起きると泣いていることが多くある。やりたいことはたくさんあるし、やつけれども、やっぱり味がわからなくなってる。
浪人が明けた今でも、後遺症が残ってる。けれども、浪人は私に努力の力を示してくれた。まごう事なき成功体験であるし、大学に入った今でも受験で培った力は大きくプラスに働いている。ただ代償も大きかった。いまだにこの浪人を選択したことは正解かわからない。大学に入って、ここまで苦労しないで入って来た子はたくさんいた。
おそらく大学受験は大部分の人から見ればちっさくて、知らない未知の世界だし、残念ながら学歴は家でいう外壁の一部のようなものだと思う。結局家の中がよくなければ、ダメ。難しい世界だと感じさせられた。
世の中の求めるハードルの高さを越えれる気はしない。たまに世界が見せてくれる美しく、高揚させてくれる光景は今後の人生で見れるのだろうか。

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