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ふえるわかめ

先ほどから、乾燥わかめが増えていくところをずっと見ている。

ガラスの容器に入れた乾燥わかめ。
水を注ぐ。
横からじっと見る。

わかめはじわりじわりと動き出し、気泡も上がっていく。
ゆらゆらと揺れながら、広がり始める。
ひと足早く広がったわかめは鮮やかな緑色をしており、蛍光灯を透かしてステンドグラスのように見えなくもない。
下のわかめも広がりだし、生き物のようだ。
あれ?海藻は乾燥しても生きているのだろうか。

以前何かの番組で、板海苔は生きている、というのを見たことがある。
その時はちょっとした恐怖を覚えた。
生き物だと意識して海苔を食べていなかったからだ。
黒いシート状の何を巻いても大抵うまくなる食べ物としか思っていなかった。申し訳ない。

私たちは他の生き物の命を頂いて生きている、という事を考える暇もなく、忙しくカロリーを摂取していく毎日。

なんとなくこれでは良くないよな、とぼんやり思う。
だからと言って急に毎回お祈りを捧げてから食事をとるのもちょっと違う。

若い頃より食も細くなり、好みも変わり始めているのに、いつもの調子でご飯を作りすぎてダメにしたり。
作り置きを頑張ったが、後半は飽きてきて誰も食べなくなったり。
そういった所から改善せねばいかん、と心に刻む。

ある日、スーパーで刺身用アジが一尾110円という破格で販売されていた。

私は魚を捌いたことがない。

しかし魚を捌く動画は毎日のように見ている。
このサイズならいけるかもしれない。
妙な自信が湧き上がる。その自信はどこからくるのか。

とりあえず2尾購入。
細かい氷につかっていた新鮮なアジだ。
アジの刺身は好物なので、スーパーでも買うし、回転寿司でもアジをよく食べる。
今回は、いつも端折っている工程を自力でやってみることにした。

いつもの流しにアジが2尾。
持って帰ってきたら意外と大きい。
キラキラと銀色に輝いている。
海の中を泳いでいる時はもっとキレイなんだろうな、と思いをはせる。

目も大きく、白目の部分は透き通っている。
私が見たことのない景色を見てきたのだな。
あんなに広い大海原から、どうしてこんなしょぼい台所の流しに来てしまったのか。

広い海で漁師に捕まるなんて、運が悪いとしか言いようがない。
網をかいくぐった仲間を見て何を思ったのか。
空気に晒されてどれほど苦痛を味わったのか。

なんだか辛くなってきた。
自分がアジだったら、と想像してしまった。
何を思ったのか、思わないのか。

本当のことはアジにしかわからないが、とりあえずこのしょぼい台所の流しに横たわっているのは不本意であろう。
早く捌いて丁寧に皿に盛り、おいしくいただこう。
今ここにいるアジにはそれしかできない。

当たり前だが頭を落とせば赤い血が流れ、内臓を取り出せば様々な臓器が出てくる。
形は違えど私の中にも同じものが入っている。
この命をいただくのだな、とそれだけ思った。

骨に身を残さないよう慎重に包丁を入れる。
骨に当たる感触がしたので包丁を寝かせ身を削いでいく。
片身がはずれた。
ありえないほど骨に身が残っている。

そう、私は魚を捌いたことがないのだ。

仕方なくスプーンで身をこそげ落とし、外した頭に残った身も取り出した。
結果これでよかったのかもしれない。
きれいに骨だけにすることができた。

そして刺身というより、「なめろう」のような物が山盛りになった。
味は一緒なので良しとする。
冷蔵庫でよく冷やし、ビールと共にいただく。
今日の食事はいつもより時間をかけて味わった。

たまにこうして魚を捌いたりするだけで、少しは「いただきます」に深みが増すかもしれない。

最初はただ疲れきって夕飯の支度が嫌になり、じっと乾燥わかめが増えるのを見つめていただけだった。
それが「いただきます」に深みを増す結果につながるとは思わなかった。
あの時なぜかアジを捌けると自信を持った自分のおかげである。

今度こそは「アジのなめろう」にならないよう、捌き方をさらに学んでおきたい。
ナポレオンフィッシュアリゲーターガーを捌く動画を見ても上達しない、という事に今更ながら気付いた次第である。

今日の就寝のお供
タダノナツ ゾゾゾ変(2) (バーズコミックス)





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