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邪馬台国は見つかっていた【11】「余」を「以上」と訳せば萬二千余里は説明できる

レン:
いやいや、ちょっと待ってください。そもそも倭人伝には「帯方郡から女王国までが一万二千余里」と書かれているんです。海岸沿いの航行距離を足して、帯方郡から不弥国までが12000余里だとしたら、不弥国から邪馬台国まで距離がゼロになっちゃいますよ。

図表14

おじ:
そうだね。不弥国から邪馬台国は船で30日かかるのに、距離がゼロということはあり得ない。「疑問2 対馬~壱岐と不弥国~邪馬台国との距離の矛盾」も、未解決だ。このままでは「萬二千餘里の謎」が解けたとは言えないね。

ゆい:
帯方郡から邪馬台国は12000里より、はるかに遠かったはずでしょ。それなのに「萬二千餘里」としか書かれていないのだから、倭人伝が間違っているんじゃない?

おじ:
我々現代人が邪馬台国問題に取り組んでいると、説明のつかない場面に直面することが度々ある。そんな時はつい、倭人伝が間違っているのでは、と疑ってしまうものだ。でもそれは大抵、苦し紛れの逃げ口上さ。倭人伝を書いた帯方郡使も意図して間違いをしているはずはない。必ずそう書いた理由があるはずだ。だから、ここからは帯方郡使の立場になって、当時の状況を推測してみよう。

――帯方郡を出発した魏使の一行は長い船旅の後、狗邪韓国に到着する。さらに対馬国、一支国と飛び石のように島を渡って九州北岸に上陸する。そして陸路を進んでようやく不弥国に到着する。しかし「目指す邪馬台国は不弥国からさらに船で1ヶ月以上かかる」と倭人から説明を受ける。結果、彼らは邪馬台国には行かなかった。時間がかかりすぎることが問題だったのかもしれないし、公式の訪問ではないから行くのを控えたのかもしれない。さりとて邪馬台国については報告しなければいけない。帯方郡から不弥国までの距離が12000里ということはわかっている――。

おじ:
さあ、2人が魏使の立場だったらどう説明する?

ゆい:
そうね。私なら「邪馬台国は12000里よりもさらに遠くにあるけど、距離はよくわかりません」って正直に言うな。

レン:
僕だったら「中国からはこの位の距離の場所にありますよ」みたいな、具体的な説明をすると思います。

おじ:
すばらしい回答だね。実は倭人伝の中で、まさに2人が言った表現で説明がされているんだ。それがこの2つだよ。

1. 萬二千餘里

2.計其道里 當在會稽東冶之東
(その道理を計るにまさに会稽の東冶の東にあるべし)
訳:邪馬台国までの道程を計算してみると(その位置は)会稽かいけい東冶とうやの東に相当する

ゆい:
1.萬二千餘里 は、これまでに何度も出てきたよ。一体どういう意味?

おじ:
ここで思い出してほしいのは、第1章の最後に「餘」の意味が重要なポイントだと僕が言ったことだよ。

ゆい:
確か「餘」の意味は“約”とか“余り”ではなくて“以上”だったね。

おじ:
そのとおり。つまり「萬二千餘里」は「12000里」でもなければ「12000里余り」でもなく、「12000里以上」なんだ。

ゆい:
ん?どういうこと?

おじ:
帯方郡使は邪馬台国には足を運んでいなかった。だからその距離も確定できなかった。けれども帯方郡から邪馬台国までは、かなりの距離があると説明しなければならない。そこで帯方郡から不弥国までの距離を引用して「邪馬台国まで12000里以上ある」と表現した、と考えることができんだ。

ゆい:
なるほどね。「余」が「以上」なら「邪馬台国までは12000里よりも、もっと遠くにありますよ」という説明になるね。

おじ:
「餘」を「約」とか「あまり」と訳してしまうと矛盾が生じるけれど、「以上」と訳すことでちゃんと説明がつくんだ。

ゆい:
じゃあ、2.計其道里 當在會稽東冶之東(その道理を計るにまさに会稽の東冶の東にあるべし)の方は?

おじ:
「12000里以上あります」という説明だけでは不十分だ。それを補うのが「計其道里 當在會稽東冶之東」だよ。会稽の東冶という中国の地名を挙げ「邪馬台国の位置は会稽東冶の東に相当する」と記し、その位置を具体的に示したんだ。

図表15

レン:
確かに自国の人にとっても、イメージしやすい説明ですね。

おじ:
「疑問2 対馬~壱岐と不弥国~邪馬台国との距離の矛盾」も同時に解決する。「萬二千餘里」という数字は帯方郡から不弥国までの距離であり、不弥国から邪馬台国までの距離は含まれていなかったんだ。

ゆい:
疑問1、2を両方解決できたね。

おじ:
倭人伝は間違っているどころか、実に要を得た説明がされていたんだよ。

レン:
正しい訳をすることで倭人伝の真の意味を理解できるんですね。

ゆい:
今度こそ「萬二千餘里」の謎を突破したね。


【9】~【11】のまとめ

  • 対馬と壱岐の海岸航行距離を加えると12100余里となり、「萬二千餘里」と合致する

  • 帯方郡から不弥国までの距離を引用して「邪馬台国までは12000里以上ある」という説明がされた

  • 「会稽東冶の東」という説明で、より具体的な邪馬台国の位置を示した


【12】につづく

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