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邪馬台国は見つかっていた【8】邪馬台国を訪れていない証拠は倭人伝に書かれていた


ゆい:
証拠って何?わからないから正解を教えて。

おじ:
「不弥国から投馬国までは南に船で20日、投馬国から邪馬台国まで南に船で10日」という記述だよ。

ゆい:
それのどこが最大の証拠なの?

おじ:
20日と10日を合わせて30日。不弥国が九州のある地点だとして南に30日も航行したら、たとえどんな航路を取っても日本のはるか南の海上に出てしまう。仮に帯方郡使が実際に邪馬台国まで行ったとして、彼の船が島影もない海上に行き着くはずはないだろう?

図表3(再掲)

ゆい:
それもそうね。

おじ:
帯方郡使があえて虚偽の報告をするはずはない。しかし倭人伝の内容は間違っている。なぜか?それは彼が邪馬台国まで行かなかったからだ。行ってないから、倭人からの伝聞を書くしかなかったんだ。つまり裏を返せば「不弥国から邪馬台国までは、船で30日かかる」という記述そのものが帯方郡使が邪馬台国に足を運んでいない最大の証拠になるわけさ。

ゆい:
そういう意味なのね。

レン:
じゃあ、なぜ倭人は「邪馬台国までは南に船で30日かかる」と教えたのでしょう。

おじ:
倭人の説明が不十分だったんだ。2人は、邪馬台国行きの船が30日間ずーっと南に進んだと思う?

ゆい:
えっ?違うの?

レン:
そうか。途中で進路変更をした可能性がある。しかもそれが出発した港からかなり遠かったら、倭人もそこまで詳しく説明しなかったかもしれない。

おじ:
推理が冴えてきたね。実はこの問題はとても大きなテーマなんだ。今は全て説明できないけれど、あとでもう一度取り上げるから、覚えておいてよ。さあ、これで ②どこまで足を運んだのか の答えが出たよ。行った・行ってないのボーダーラインはこちらです!


図表5 倭人伝に書かれた国の説明とボーダーライン

レン:
帯方郡使が実際に行ったのは対馬国から不弥国まで。それよりあとの投馬国と邪馬台国には行っていなかったということですね。

おじ:
そのとおり。倭人伝の内容も対馬国から不弥国までは信頼性は高く、投馬国と邪馬台国については信頼性が低いと言える。

レン:
倭人伝は信憑性が低い文献だと思っていたけれど「正しい部分と正しくない部分がある」ということが論理的に理解できました。邪馬台国までのルートに登場する8つの国のうち6つの国の内容は、ちゃんと正しいことが書かれているというのは驚きました。

おじ:
これまでの研究では、日本側の立場に立った考え方で倭人伝に書かれた方角や距離を修正して邪馬台国を見つけようとしてきた。けれどもその方法では納得のいく解釈が得られずに行き詰ってしまった。そこで僕は見方を変えて、中国側の立場でアプローチした。結果、帯方郡使の足どりを正しく把握し、倭人伝の正確・不正確の境界を知ることができたんだよ。彼が実際に訪れた6つの国の説明は正しいと確認できたことで、倭人伝自体の信頼性も高まったと思うよ。

ゆい:
倭人伝への疑惑が突破できたね。ところでおじさん、さっきの質問だけど。

おじ:ん?

ゆい:
「邪馬台国探しの次の一手」の答えよ。私の「断捨離」は正解じゃない?だって、ここまでの作業はまさに「不要なデータの断捨離」だもの。

おじ:
そのとおりだね!ゆいちゃんに一本取られたよ。


【5】~【8】のまとめ

  • 倭人伝は対馬国から不弥国までの内容は信頼性が高く、投馬国と邪馬台国については信頼性が低い

  • 誰が倭人伝を書いたのか? → 第3の帯方郡使

  • 彼はどこまで足を運んだのか? → 対馬国から不弥国まで
    投馬国と邪馬台国には行っていない

  • その根拠は?

    • 倭人伝の「距離」「戸数」「特記事項」の書き方が明らかに違う

    • 「不弥国から邪馬台国までは南に船で30日かかる」という記述そのものが、現地まで足を運んでいない証拠


【9】につづく

向かって左から 犬、イノシシ、犬


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