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喫茶チャイティーヨ 鉄風と僕と。

〇〇「ごめん、打ち上げまた今度!」
アルノ「え〜!?高校最後のライブなのに!」
〇〇「ペグが壊れた。まだお店開いてるから買って帰りたくて」
アルノ「…それこそ明日でよくないですか」
〇〇「壊れたままだと落ち着かないの」

そそくさと帰り支度を進める僕に不満気なアルノ。サポートに入ってくれた後輩達は、まーた小競り合いが始まったと言わんばかりの表情だ。

〇〇「また連絡するから!」
アルノ「も〜!」

楽屋を出て、フロント前を通りがかる。

???「あれ、早いですね…。他の子達は?」

受付のバイトの子が声をかけてくる。

〇〇「あぁ、夏鈴ちゃん。ギターのペグ壊しちゃって。買って帰るから僕だけ先に出るよ」

藤吉夏鈴ちゃん。
僕やアルノと同じ東高。

夏鈴「そうですか…、お疲れ様です」

ちょっと何か言いたげだけど、今はあんまり時間もないし、詳しく聞くのはまた今度かな。

〇〇「うん、じゃあまた…」

今度。と言おうとした所、ドタバタと足音が聞こえる。視線を足音の方へ向けると一人の女の子が走ってくる。と、殆どそのままの勢いで体当たり。

〇〇「痛いよ、天ちゃん」


天「なんで声もかけずに帰ろうとしてるんですかー! 一声かけてくれてもよくないですか?」

山﨑天ちゃん。この子も東高校生。2人はダンス部の部員で、このライブハウスのバイト仲間でもある。何でもここでバイトすると、併設されてるスタジオが安く借りれるらしい。僕らもライブが近づくと、部室や音楽室ではなくここのスタジオを借りて練習している。そんなわけで学校での顔見知りというよりも、ここでの知り合いといった感じ。

天「高校生最後のライブでしょ!? なんかこう、もうちょっと何かあってもよくないですか!?」
夏鈴「天ちゃん、危ないから」
天「夏鈴も帰るの見てたんなら呼んでよ!」
夏鈴「いや、呼ぶ前に来たじゃん…」
天「来る前に呼んでよ!」
夏鈴「無茶言わないでよ…」

傍から見ると月と太陽みたいな2人だけど、何故か噛み合ってる不思議なコンビ。いつまでも見てられる掛け合いだけど、残念ながら今日は時間がない。

〇〇「いや、またすぐに会うでしょ、なんかしら」
夏鈴「だってさ」
天「なんかもぅ〜…、なんかさぁ〜!」

もうちょっとなんかないのか!と言いたいんだろうけど、僕と夏鈴ちゃんのテンションに口ごもる天ちゃん。エモが足りない人間で申し訳ない。

〇〇「ごめん!また追々!ね!」

僕は2人にそう言って外へ向かう。

天「ちょっと〜!」

申し訳無さもあったけれど、やはりギターが壊れっぱなしというのは落ち着かない。一刻も早くリペアして、万全の体制にしておきたいんだ。

ライブハウス裏に停めた自転車にまたがると、大急ぎで馴染みの楽器屋に向かう。壊れているのはペグだけだから、閉店前に間に合いさえすれば、買って帰って家で交換位はできる。

今にして思えば、
ライブが押して閉店時間になってれば。とか。
アルノ達との打ち上げを優先していれば。とか。
夏鈴ちゃんと天ちゃんと話し込んていれば。とか。
そうすりゃこうはなってなかったのかな。なんて、馬鹿みたいなタラレバを考えたりする。
でも、意味はないんだ。そんなことに。
もう起きてしまったことだし。
過去は変えられないし。

楽器屋についた僕は自転車を停めて足早に入店。
そしてそこで、母と離婚した元父親と再会した。
正直その時の事はよく覚えていない。

はっきり覚えているのは、僕の姿を見た元父親の
『ホント、俺の子だね』って言葉。

文言とは似合わない表情で言う
『悪いとは思ってんだよ、お前らには』って言葉。

やっちゃったなって顔で言う
『あいつ、言ってないの? 俺の浮気が原因で離婚したってこと』って言葉。

それ以外は、覚えてない。
自分がなんて言って店を出たのか。
どうやって自転車こいで家まで帰ったのか。
自転車を停めて、鍵をかけて、家の鍵を開けて、
母になんて言って家に入ったのか。

気がつけば僕は真っ暗な自室で、
ガタガタ震えながらピアスを外そうとしてた。
背負ったギターもそのまんま、部屋の入口で立ったまま。どれくらい時間がかかったかも分からないけど、とにかく、それが、3年間かけて7つも開けたピアスが、その日、その瞬間、急におぞましく感じてしまった。ようやく外したピアスは、一瞥しただけで嫌悪感を感じる呪物に成り下がって、僕はそれをゴミ箱にまとめて投げ捨てた。安物のピアスらしく、安っぽい音が鳴った。背負ったギターを思い出したように手にとって、ケースごと床にでも叩きつけてやろうかと思って掲げた。

やってやる。
リッチー・ブラックモアもジミ・ヘンドリックスもピート・タウンゼントもやってたろ。
誰だって一回くらい憧れたろ。
いい機会じゃないか。
ロックンロールって感じだろ。
やってやる。

でも、出来なかった。
苦し紛れにベッドの上に投げ捨てて、僕は荒い呼吸を落ち着けようとした。
不快だ。
自分の荒い呼吸音も、激しい動悸も。
いっそ止まってしまえばいいのに。
なんなんだ。
僕は一体何をやってたんだ。
部屋の隅でメソメソしててもよかった。
けどどうしてもじっとしていられなくて。
此処にいて、何か考えの渦に沈み込んでしまったら、気が狂いそうな気がして。
部屋を飛び出して、玄関で乱暴に靴を履いた。
母が何か声をかけてきた気がするけど、まるで耳に入ってこなくて、僕は

〇〇「遅くなるから、先に寝てて」

それだけ言って、家を飛び出した。
いつの間にか雨が降ってて、けど、そんなことはどうでも良くて、僕はただ当てもなく夜の街を走った。立ち止まったら、何かに捕まってしまいそうで、それから逃げるように、ただただ走った。
何かを考えていたような気もするし、何も考えていなかったと言えば、そうだった気もする。

気がつくとよく知る場所にやってきていた。
毎日のように通ってる場所。
灯りはついてなくて、しんとしている。

チャイティーヨ。

この1年、ライブやイベントがある日はお休みをもらうのがお約束になっていた。飛鳥さんも、さくらさんも、美波さんも、快く送り出してくれて。

それで僕は何しに来たんだ?
慰めてもらいにでも来たの?

正確な時間はわからないけれど、21時は回ってるだろう。22時を越えてるかもしれない。
チャイティーヨは19時で閉店。片付けをしてもそんな時間までかかることは滅多にない。

ほんとに馬鹿みたい。
なにやってるんだろう。

けど、これ以上走れる気がしなくて、僕は店の軒先にへたり込んだ。走って熱くなった気がしてた身体が雨と外気で冷えてくのがわかる。このまま体温も何もかも全部消えてなくなっちゃえばいいのに。

???「なにやってんの」

声をかけられて顔を上げると、お店の入口から飛鳥さんが顔を覗かせている。その顔を見て、僕は反射的に目をそらして立ち上がる。

〇〇「す、すいません、いや、まだ、飛鳥さん達いるかなって! 電気ついてないから、流石にもう帰ったかと思って、ちょっと雨宿りを…」

わからない。
うまく笑えてるかな。
引きつってないかな。
早く、ここから離れたい。
こんな姿、見せたくない。
なんでここに来ちゃったんだろう。

飛鳥「…ほんと、そんなとこまで一緒か」

飛鳥さんはそう言うと、僕の腕を掴む。

飛鳥「とりあえず入りなよ」
〇〇「あ、いや…」
飛鳥「いいから…」

それ以上何も言わなくていい。
とでも言うように、飛鳥さんは僕を店内に引っ張り込んだ。真っ暗な店内で僕と飛鳥さんの足音と、僕から雨の雫が床に落ちる音だけが響く。

〇〇「飛鳥さん、床濡れちゃいますから…」
飛鳥「だったらなに?」

本当にだったらなんだって言うんだろ。
拭けばいいだけのことだ。
けど、そんなことすらいいわけにして、僕はここから離れたいと思っていて。

〇〇「飛鳥さん、もう帰りますから…」

勝手にやってきて、
勝手に落ち込んで、
勝手に帰りたがって。
はた迷惑な奴。

飛鳥「……」

ふっと飛鳥さんが手を離す。
ホッとした安心と、じわりとした不安とが、
ないまぜになった何かが、僕を覆う。

〇〇「……」

何か言わなくちゃ。
そう思考した瞬間、飛鳥さんが僕を抱きしめた。

飛鳥「一人でどこまでも歩いていけたらって思うよね。自由だし、身軽だし、色んな物持ってけるし」

たぶん、飛鳥さんなりに力いっぱい。

飛鳥「けど無理。知らず知らず誰かに助けられて、知らず知らず誰かを助けてるから」

諭すように、優しい声色で。

飛鳥「そうやっていつの間にか支え合ってるから。一方的なことじゃないんだよ」

本当に?
僕は貴女を支えたりできてるだろうか。

飛鳥「気の利いたことなんて思い浮かばないけど、そばにいることは出来るから」

僕は今どんな顔してるんだろう。

飛鳥「こうやって、守ってあげるくらいは出来るから」

僕はただ、その場に崩れ落ちるようにして、泣くことしかできなかった。


〜〜〜〜〜〜


ロッカーにしまっていた予備の制服に着替え、僕はホールに戻る。店内の照明は消えたまま、カウンターのランプだけが柔らかい光を放っている。
飛鳥さんはいつもの定位置じゃなくて、カウンターに腰掛けて、こちらに視線を向けた。

飛鳥「…」

何も言わず、隣の席をポンポンと叩く。
ふらふらとその席へ向かい、腰掛けた。
目の前に湯気が上がる珈琲が置いてある。

飛鳥「デカフェ。眠れなくなるとあれだし…」
〇〇「ありがとうございます…」

カップを手に取り、少し口をつける。 
どうせならいれる所もみたかったな。そんなことを考えるくらいの余裕は出来たのかもしれない。

飛鳥「…なんにも信用できない時期があってさ。人の言葉も、自分のことも」

ポツポツと話し出す飛鳥さん。

飛鳥「こうあれとか、こうでなきゃって考えるうちに自分を覆う殻みたいなのばかり着飾って、大きくなって行っちゃって。気づいたら中身は空っぽになってた」

こちらを見ず、どこか遠くを眺めてる。
今日、僕は僕が選び取ったと勘違いしていた諸々が砕け散って、なんの中身も無い人間だったと思い知らされた。

飛鳥「そう思うと自分の感情も希薄っていうか、ピンとこなくなって。そういう時、なんか色々考えすぎちゃうんだよね。自分って人間味がないなとか、一緒にいてつまんないだろうなとか。そんな時、奈々未に言われたんだ。飛鳥はもっと気楽に生きる方法を覚えてほしいって」
〇〇「気楽に…」
飛鳥「いちいち何か思った時、これって本当にそうかな?とか。自分が感じたことが正しいのかな?とか。私という人間を誤解されてるから、弁解しなきゃとかよく考えてた」

ふっとこちらの目を見る飛鳥さん。

飛鳥「嫌われないように笑っていようとか、心配かけ無いように気丈に振る舞おうとか」

そうか。
初めから、見透かされてる気がしてた。
飛鳥さんは僕のことなんかお見通しなんだなって。
たぶん、そうじゃなくて、それは飛鳥さん自身がそうだったから。きっと僕もそうなんだろうって。
そう思ってたんだな。

飛鳥「理想の自分とか、目標とかあるけど。別にいいじゃん。誰に何を思われても。余裕がない時は、人の目なんか気にしないで、自分の側にいる人のことだけ見てればいいよ」
〇〇「…そうですね」

出来もしない事に必死になって、目の前のことも見えなくなるくらいなら、今目の前のことだけに集中しよう。
マインドフルネス。
過去も未来も一旦置いて、今目の前にいるこの人を見よう。今だけは、それだけでいい。

〜〜〜〜〜〜

〇〇「……っ!?」

いつの間にかカウンターに突っ伏して眠っていたらしい。遮光率の高いカーテンの隙間から、薄明るい光がさしている。

美波「お、起きた」

声にする方に目を向けると、美波さんがトースターにパンを放り込んでいる。

〇〇「え…?」

寝ぼけてるのか夢なのか、なぜ美波さんが?

さくら「おはよう〜」

キッチンのカーテンから、さくらさんが顔を出す。
やっぱ夢かもしれない。

さくら「もう焼き始めちゃいますね」
美波「うん、よろしく」

状況を飲み込めずにいると、椅子を引く音がする。
いつものスペースから飛鳥さんが立ち上がり、珈琲スペースに立つ。

飛鳥「…何飲む?」
〇〇「…とびきり苦いのを」
飛鳥「…わかった」

ガサガサと冷凍庫を漁る飛鳥さん。
そのうちパンの焼ける香ばしい匂いがしてきて、料理の音に、珈琲をいれる飛鳥さんの姿。
いつものチャイティーヨの風景。

さくら「おまたせ」

さくらさんがキッチンからお皿を手に出てくる。
作業スペースに置かれたそのお皿に、美波さんがパンを盛り付けてカウンターへ運んでくる。飛鳥さんも珈琲をカップに注ぎ終えると、カウンターに。
あっという間に4つのモーニングセットがカウンターに着弾。飛鳥さん達もカウンターの中から出てきて着席。

飛鳥「はい、手を合わせてください」

言われるまま手を合わせる。

飛鳥「いただきます」
〇〇・さくら・美波「いただきます」

お皿には生ハムのサラダ、叉焼エッグ、ウィンナー3本、食パンが半分、ヨーグルトと、そこに入ったフルーツジャム。あとは黄金色のスープと珈琲。

申し合わせたわけでもないのだけど、皆一斉に珈琲に口をつける。

一同「苦っ!」

全く同じ物を口にして、全く同じ感想を口にして、僕達は笑った。

フォークを手にとって、サラダを口に運ぶ。
かかっているのは美波さんお手製のすりおろし林檎のドレッシング。甘酸っぱい、チャイティーヨ定番のオシャレで美味しい自慢のドレッシング。

なんとなく食欲が増してきた気がして、スープを手に取る。黄金色の綺麗なスープは、さくらさんがカレーを作る時に出る、野菜のヘタや皮などを煮込んで作ったベジブロス。殆どはカレーにお水の代わりに入れるので、お店のメニューには載らない賄い限定の料理。味付けは塩こしょうと少しの醤油だけの優しいスープ。

食パンを食べやすい大きさに千切ろうと手に取る。外はカリッとしてて、中はふわふわ。ベーカリーやましたの食パン。頼んでおいたパンを引き取りに行くと、ニコニコ楽しそうに袋に詰めてくれる美月さんが思い浮かぶ。

塗ってあるバターの香りに、なんだか嬉しくなってまう。きっと与田ファームでウォンバットと戯れる祐希さんが思い浮かぶのも要因に違いない。
ヨーグルトも楽しみだな。

叉焼エッグの卵を割って、とろっと出てきた黄身を叉焼に塗りたくって口へ運ぶ。昔の史緒里さんは顔に似合わず中々のズボラだった、なんて話はにわかに信じられないけれど、好きなものへのこだわりは相当なもんで、久保家なんて店まで構えるんだから、わかんないよね。美波さんが楽しそうに言ったこと、よく覚えてる。この美味しい叉焼も、試作のおすそ分けだって。

わかる。
空っぽなんかじゃない。
何も無いなんてことはない。
たった一皿のモーニングプレートの中にも、
こんなにたくさんある。

チャイティーヨで過ごした日々のこと。
一緒に働く人達のこと。
間接的に繋がっている人達のこと。
これから繋がっていくだろう人達のこと。

こんなに嬉しいことはない。

どうか、ここで働く人達が笑顔で過ごすお手伝いが出来ますように。
どうか、これから来る人達が幸せに過ごすお手伝いが出来ますように。
僕が僕を、少しでも認められますように。

〜〜〜〜〜〜

美波「じゃあ、いってきます!」
飛鳥・さくら「いってらっしゃい」
〇〇「美波さん!」

洗い物を終えて、キッチンから出ると、美波さんが会社に向かうべく、店の入口に向かう所だった。

〇〇「わざわざありがとうございました!」

昨晩僕が眠ってしまった後、飛鳥さんが美波さんとさくらさんに連絡してこの時間を設けてくれて、美波さんはお仕事前の忙しい所、わざわざ朝食の準備をしにやって来てくれた。

美波「皆で朝ごはんってのもいいもんだね。楽しかったよ。朝からいい気分」

笑って美波さんはそう言う。
僕は店のドアを開けて、美波さんを見送る。

美波「ありがとう。…〇〇」
〇〇「はい」
美波「私達はいつでもここにいるから。いつでも、チャイティーヨはここにあるからね」
〇〇「…はい!いってらっしゃい!」
美波「いってきます!」

手振って歩き出した美波さんの背が見えなくなるまで見送って、僕は店の中に戻る。

飛鳥「えんちゃんはどうする?」
さくら「う〜ん、このまま仕込みしちゃいます。いつもより長めにカレー煮込めますし」

なんだか嬉しそうに言うさくらさん。それに対して、お客さんに貸し出す用のブランケットを手にした飛鳥さんは眠そうだ。

飛鳥「私少し寝るから、えんちゃんも適当に休みつつ仕事して…」
〇〇「あの、飛鳥さんもさくらさんもありがとうございました」

会話を遮るようで申し訳なかったけど、早めに伝えておきたかった。

さくら「どういたしまして」
飛鳥「ん…。〇〇もそろそろ帰りな。お母さんに連絡してないんでしょ?」

目覚めた時に確認したら、いつの間にか携帯の充電が切れていて、結果完全な無断外泊朝帰り。
うーん、我ながら不良だ。

〇〇「そうですね…」
飛鳥「今日はバイトは休みにするから、なんかあったら連絡して。ちゃんとお母さんに説明するから」
〇〇「すいません、何から何まで…」

しかし、よくよく考えると、アレだなぁ。
なんか、こう、ソワソワしてしまう。

飛鳥「…なに?」
〇〇「あぁ、その…冷静に考えたら、女性と1晩過ごすの初めてだなって…」

飛鳥さんは一瞬怪訝な顔をして、
何かに気づいたみたいにハッとすると、僕と同じ様にソワソワした結果、

飛鳥「ばかなこと言ってないでかえれ!」

とだけ叫んで、子供みたいにテーブル席のソファに寝転んでブランケットを被ってしまった。

〇〇「…じゃあ帰ります」

飛鳥さんの様子を見て笑うさくらさんにそう伝えて、僕は店の入口に向かう。

さくら「じゃあ、お見送りしようかな」
〇〇「ありがとうございます笑」
さくら「どういたしまして笑」

店の外に出ると、冬と春の間らしい、肌寒さと乾いた空気に、ほんのりと暖かい日差しが心地よい。

さくら「もうすぐ卒業式だよね」
〇〇「そうですね…。実感があんまりないですが」
さくら「そういうものかもしれないね。…ゆっくり休んでね」
〇〇「はい、ありがとうございます」
さくら「じゃあ、また明日」
〇〇「はい、また明日です。お疲れさまです」

手を振って僕は歩き出す。
まだ頭の中にぐるぐるといろんな感情が渦巻いてるけど、一旦、それは忘れていよう。
今は、今のことだけ考えよう。

〜〜〜〜〜〜

家についた僕は、父の事は伏せて、母に軽く言い訳をして部屋に戻った。
ベッドの上に鎮座するギターをケースごとクローゼットに押し込んで、ピアスの入ったゴミ箱の袋をきつく縛る。ゴミ袋はさっさと最終的にまとめる大きなゴミ袋に突っ込んで、今度のゴミ収集日には綺麗さっぱり消えてなくなるだろう。ギターを突っ込んだクローゼットは、もしかしたら今後一生開くことはないのかもしれない。けど、別に今考えることじゃない。この震えも、怯えも、いつまで続くかなんて、今はどうでもいい事だ。
携帯に充電器をぶっ刺して、僕はベッドで横になった。まずは休もう。今ここにある問題は、一旦次目覚める僕に委ねる。

目を覚ますと夕暮れの光が部屋に差し込んでいて、僕は重い身体を動かして、携帯の電源を入れる。
アルノからLINEが入っている。大方、打ち上げの話だろう。申し訳ないと思いながら、内容を無視して、卒業式に来てほしいことだけ伝える。
側にいる人には、ちゃんと話をしておきたいから。
のそのそと起き上がると、つい、クローゼットを見てしまう。ズキズキとありもしない何かが痛む。
僕は強引に視線を外すと、部屋を出で洗面所に向かう。母はまだ仕事から帰っていないようだ。その方が都合がいいや。
洗面所の鏡に映る僕は酷い顔をしてる。まぁ、無理もない。こんな顔でチャイティーヨには立てないから、休みにしてもらえてよかった。
少し深呼吸して、僕は洗面台の収納スペースから、ツーブロックを整えるために買ったバリカンを手に取り、スイッチを入れる。
まず、最初の第一歩。


〜〜〜〜〜〜〜


僕はまた目を覚ます。
目に映る天井は母と住んでいた家の部屋ではなく、一人暮らしのアパートの天井で、僕は薄いせんべい布団の上に寝転がっている。
長い夢だった。夢の中で何度寝て起きただろう。
それこそ、当時は何度もみた夢。
見るたび、冷や汗をかいて目覚める夢。
でも、今日は懐かしさすら感じる。

チャイティーヨの特別営業を終えて、楽しい打ち上げに羽目を外して朝帰りした僕は、あの日と同じように夕方に目を覚ましていた。
重い体を動かして、携帯を手に取る。
母のLINEに、荷物を取りに行くから。とだけ打って送り、僕は顔洗って歯を磨くと、テキトーな服に着替えて部屋を出た。
電車に乗って、実家のある駅につくと僕は脇目も振らず家路をゆく。
携帯に母から“まだ仕事中。ご飯くらい食べて帰ったら?”とLINEの返事が届く頃、僕はポケットから鍵を取り出し、久しぶりに家のドアをくぐっていた。
自分の部屋に入って、布団の敷かれていないベットに腰掛け、母へ返事を打つ。
すこし迷ったけど、
“そうする。急にごめん”と返信した。
携帯をポケットにしまうと、僕は深く深呼吸する。
立ち上がってクローゼットの前に立つ。
化け物が出てくるわけでもあるまい。
僕はひと思いに扉を開いた。
そこにはあの夢と寸分たがわず鎮座するギターケース。僕はそれをひっつかんで、すぐに背負って玄関に向かう。壁にかけられた自転車の鍵を掴むと、外に出てドアを施錠。駐輪場に向かい、久しぶりに自転車にまたがる。ろくに手入れもしていない愛車は、キイキイと音を立てて僕とギターを運ぶ。
通い慣れた、けどもう長く通っていない道。
目的地について、僕は自転車を止める。
Thelonious。
ギターを始めた頃から通い続けていた楽器屋。あの日、父と再会したお店。そりゃあ、父から教えてもらったんだから、そういう可能性は当然あったわけだけど。もちろん、今日という日にも、その可能性は否定できない。
深呼吸をひとつ。その時はその時だ。
入口の自動ドアをくぐると、懐かしい店内が広がっている。

???「いらっしゃい」

お店のレジから声をかけられ、僕はそちらに視線を送る。

〇〇「どうも」
???「……〇〇ちゃんじゃん!」
〇〇「ご無沙汰してます、翔さん」


ド派手な金髪のリーゼントに、室内でもサングラス。Theloniousのオーナー、綾小路翔さん。もちろん偽名っていうか、芸名っていうか、源氏名っていうか。まぁ、そういう人。

翔「…元気してた?」
〇〇「いやぁ、なかなかでした」
翔「そっかぁ…」

翔さんはちらりと僕の背負うギターに目をやり、

翔「ギター、続けてた?」
〇〇「…いえ、あの日以来一度も弾いてません」
翔「そうかぁ…」
〇〇「…こいつの買い取り、お願いします」

サングラス越しでも、どこか寂しそうな顔をしてるのが分かる。勘違いさせてるなって思うから、ちゃんと言っとかなきゃ。

〇〇「ちゃんとギターやり直したいから、心機一転と言うか、自分で選んだギターで再出発しようかなって」
翔「…おお、そっかそっか!そりゃいいよ!それがいい!」

めちゃくちゃ嬉しそうな翔さん。見た目はこれでもかってくらいトラディショナルヤンキーだけど、すごいいい人なんだよな。

〇〇「お願いします。ペグが一つ壊れてます」
翔「了解。もう新しいギターは決めてんの?」 
〇〇「いえ、まだです」
翔「査定の間、見て回んなよ」
〇〇「ありがとうございます」

僕は一礼して、店内をみて回る。
父親からもらったのはレスポール。
別にレスポールに罪があるわけじゃないけど、今回は避けようと思う。
ストラト、テレキャス、定番どころもいいけれど、せっかくならこれ!と言ったものが見つかるといいな。そんな風にギターを眺めていると、それが目についた。

ジャズマスター。

そのギターを見た時、
ふわっと懐かしい記憶が蘇った。
ギターを始めたての頃、指運の練習をしながら、夜遅くまで動画サイトでバンドのライブ映像を見漁ってた時期がある。特に誰ってんでもなく、関連やオススメを数珠つなぎに流してた。
そのバンドのライブ映像は、メガネをかけたボーカルがステージで紫煙をくゆらせながら、その出で立ちにぴったりのなんとも胡散臭い語り口のMCで始まって、クセの強いバンドだなぁなんて思った。
偉そうに言えたことではないけど、技術的な意味で、そのボーカルは歌が上手い印象はなかった。けど、叫ぶような、吠えるような、まるで魂を削り出すような歌に衝撃を受けた。
その横に立つギタリストは女性で、彼女の弾くジャズマスターは強烈なピッキングによってか、ボディの木材が剥き出しになるくらい傷ついていた。

カッコいいな。

そう思った。
そうだった。
父だけじゃない。
僕に音楽の高揚をもたらしたのは。

あの日あの時、
僕は確かに、
僕のギターヒーローに出会ったんだった。

なんで忘れていたんだろ。
思い出さないようにしていたのかもしれない。
自分自身を守るために。
付随して浮き上がってくる、名も無い化け物から逃げるために。

でも今は、それがきっと僕を進めるための原動力になってくれるはずだ。
僕が僕自身で選び取ったものだから。

翔「ジャズマス?」

どれくらい眺めてたんだろう。
すぐ後ろで翔さんが声をかけてくれる。

〇〇「はい、かっこいいなって」
翔「カッコいいよな〜。おっと、査定額出たよ」

手にした電卓をこちらに見せる。

〇〇「いいんですか、こんなに」
翔「まぁまぁまぁまぁ」

皆まで言いなさんなとでも言うように、僕の言葉を遮る翔さん。

翔「ジャズマス、中古とは言えわりといい年代のだし、カスタムされてっからいい値段するよ」
〇〇「大丈夫です。バイトばっかしてたから、貯金はそこそこあります」
翔「俺も言ってみて〜。金ならあります」
〇〇「そんな言い方してないですよ笑」

翔さんはジャズマスターを手に取り、僕に手渡す。

翔「持ってみなよ」
〇〇「ありがとうございます」

手にして、改めて気持ちが高ぶるのを感じる。
自分の選んだ楽器を担ぐっていうのはこういう気分なんだ。

翔「いいじゃん…。カッコいいじゃん!」

ホントに嬉しそうな翔さん。

〇〇「ありがとうございます。あ、翔さん写真撮ってもらっていいですか?ちょっと報告したくて」
翔「お、彼女?」
〇〇「違いますよ笑」
翔「なんだ違うのか。まぁいいや、任せなさいよ」

ポケットから携帯を取り出して、カメラを起動。

〇〇「頼みます」
翔「はいよ」

こういう時、どう映ればいいかわかんないな。
まぁ、なんでもいいか。

翔「はい。いい顔してるぜ〜」
〇〇「ありがとうございます」

いい顔かはわかんないけど、確かに晴れ晴れとしてるかもしれない。

翔「ギターヒーロー〇〇ちゃんの活躍、期待してっから」
〇〇「期待に応えられるように頑張ります」


〜〜〜〜〜〜〜


〇〇「じゃあ、また来ます」

新しいギターケースに、新しい相棒を入れ、僕は自転車にまたがった。

翔「いつでも気軽に遊びに来てよ」

僕は軽く頭を下げて、自転車を漕ぎ出す。
なんとも軽やかな気分。

会計を済ませて、翔さんがギターをケースに入れたりしてくれている間に、チャイティーヨスタッフのグループラインに写真を送った。

“挑戦します、改めて”

決意表明のようなもの。
覚悟は決めた。
決心もした。
後は進むだけだ。

家の駐輪場に自転車を止めて歩き出すと、ポケットの携帯が振動する。
グループラインに飛鳥さんから返信が来ている。

飛鳥『いいじゃん』

短。
まぁ、らしいと言えばらしいか。

家の鍵を開けて中に入ると、奥から母が顔を出す。
僕が背負うギターケースに少し驚いたようだけど、すぐ笑顔を浮かべる。

〇〇母「おかえり」
〇〇「ただいま」

これから多くの苦難や試練が待っているだろう。

新しい相棒への慣れ。
1年以上のブランク。
嫌でも思い出すあの日のこと。

けど、それでいい。
そうやってぶつかって、傷ついて、悩んで。
それが挑戦するってことだ。
そうやって挑んで、削られて、磨かれて行けばいい。
しがらみやトラウマも、全部削ぎ落としていけ。

鉄風を浴びて、鋭くなっていけ。



乃木駅から徒歩6分ほど。
カウンター5席、2名がけテーブル席2つ、
4名がけテーブル席1つ。
毎週水曜定休日。

喫茶チャイティーヨ

現在モーニング営業の予定はなし。
僕らだけの、すこし特別な時間。



鉄風と僕と。    END…。



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ライナーノーツ

今回は〇〇のトラウマと、
チャイティーヨへの想いが形成された日のお話。
最初は読み切りで書いたチャイティーヨの続きを書くに当たり、必ずどこかで書く予定だった回です。

せっかくの群像劇なので、もりもりと登場人物を増やしています。なるだけ坂道関係の人達で埋めたいですね。

Xのアカウント作りました。

投稿作品に関するもう少し細かいライナーノーツとか、小ネタとか書いていこうかなぁと思い始めました。良かったらフォロったり感想リプしたり拡散したりよろしくお願いします。

次のお話

前のお話。


シリーズ。


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