あの日、白米をおかわりした彼

たまに、ふと思い出す日がある。
大学1年の、季節が春から夏に移ろうとする頃のこと。野球部のマネージャーとして新入部員たちとともに大学野球の試合を見学しに行った日のことだ。

試合を見学した帰り、誰がが「せっかくだから、みんなでご飯でも食べて帰ろう」と言い出した。春先のような肌寒さはほとんど感じなくなり、蒸し暑いような気すらしてくる夕暮れ時、20人近い人数でぞろぞろと某定食屋に入ることになった。

6人がけの長テーブルが横に3つ並んだ席に通され、奥から詰めて座った。顔や名前はなんとなくわかるものの、まだ出会って日も浅くどこかぎこちなさが残る者同士、探り探り会話を始める。

皆適当に席についたものと思っていたが、どういうわけかとりわけ声が大きくよく喋るような子は、真ん中のテーブルに固まっている。

わたしが座ったのは真ん中のテーブルの1番端の席だっただろうか。声の大きな人種が苦手なわたしは、「他のテーブルに座ればよかった…」と思ったことを記憶している。


部活に入って最初の集まり。それは彼らにとって重要な意味を持っていた。おそらく今後部内でできあがっていくであろう、人間関係のピラミッドのどこに位置するのかを決める最初の一手であるからだ。

学生時代というのは、このピラミッドが大きな意味を持っていたように思う。
ピラミッドの上位の方にいる「何かが優れているらしい人間」が発言権を持ち、その組織を支配していくからだ。「何か」とは、容姿であったり、運動神経であったり、カリスマ性のようなものであったりする。

余談ではあるが、学生時代の友人に
「わたしって、人間関係をピラミッドでいったらどのへんにおると思う?」
と聞いたことがある。
返ってきた答えが
「うーん。外側かな。ピラミッドの周りを浮遊してる感じ。」
まさかのピラミッドにすら入れていなかった。論外な女が語っていると思って適当に読んでほしい。

30代になった今思えば狭い世界の中のくだらない序列ではあるが、渦中にあった学生時代はこのヒエラルキー(とでもいうのだろうか)に無意識に支配されていたように思う。


まさにその時、声を張り上げる彼らは某大学野球部の1年生という組織のピラミッドの先端に登りつめようとしていた。

そのために、いかにも、というような情報を得意気に披露していく。「〇〇の彼女は可愛い」「〇〇と〇〇は付き合っていて…」という具合に。
「お前は最近彼女とどうなん?」そんなことを隣のテーブルの人にも身を乗り出すようにして聞くもんだから、食事などそっちのけで彼らは机からどんどん離れていく。
わたしは、笑顔で話を聞いているフリをしながら、彼らの机に置かれたまま冷めていくチキン南蛮に哀れみの視線を送っていた。

そのとき、ふと同じ並びの1番端の席に座っている部員が目に入った。
同級生のはずだが、名前は知らない。我こそは目立ってやろうと頑張っている同級生たちを尻目に、彼は黙々とご飯を頬張っていた。だからといって会話を避けているわけでもないようで、たまに話しかけられると相槌を打ちつつ、しかしそれにペースを乱されることなく規則正しくご飯を口に運んでいく。わたしは目線をこっそりと可哀想なチキン南蛮から彼に移した。彼はこの日結局2回、どんぶりに大盛りのご飯をおかわりしていた。大きな炊飯器からどんぶりにご飯をよそう彼の後ろ姿は今でも鮮明に覚えている。

この日からわたしは彼を目で追うようになった。彼がどんな人で、何を考えているのか気になった。
彼はどんなときも道具を音も立てずに地面に置いたし、試合前に脱いだ服は遠征カバンの上に綺麗に畳まれていた。そんな彼が纏う空気はいつも穏やかで整っていた。

あれから10数年、あの日、白米をおかわりした彼はわたしと同じ食卓につき、今日もご飯を規則正しく頬張っている。野球から離れ、あの頃より少し健康に気を遣っている彼のご飯はお茶碗に8分目になったのだが。

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