貧困の原因は徴税権



 徴税する側は屈強な人間を使役して滞納に対して体罰を、つまりは暴力を振るう事が容認されている。令和の御代でもこれは変わっていない。

 何故徴税が必要だったか。本来は必要は無い。何故政治家が必要か。必要は無い。何故国民が苦しむのか。搾取構造が変わらないから。


 

徴税は必要か


 徴税(※税金を払わせる事)が必要なのは貨幣が正常に機能する為であって生活には不可欠ではない。貨幣は精々生活する中で生まれた貸し借りを記録する媒体でしかなかったのは言うまでもない。(表券主義を多少でも勉強した人間なら理解は更に早いかもしれない。)

 その貸し借りの記録は通常所属するコミュニティ(集団)、つまりは生活を共にする家族や友達や知り合いに対して「個人が」発行するのが自然であったはず。なのに今は個人が勝手に貨幣を発行する事は稀である。つまりは貨幣を作る主体が固定化した。無論、国家や政府がその主体だ。

 政府は1世代の、つまりは当時生きていた人間を戦争によって支配し、国家を樹立すると同時に通貨を定め(日本円、ドル、ルピーetc)、その通貨を決まった時期に一定額払わない者に暴力を振るった。人々は、即ち国民は否応無く通貨を獲得する手段をあの手この手で探し回る呪縛を子々孫々にまで、つまりは半永久的に財・サービスを生み出して暴力を逃れ続ける奴隷となった。言わずもがな暴力と納税ではかかるコストが雲泥の差である。これが徴税権は資産である理由だ。

為政者と文明の相関


 斯くして奴隷は働くのだが、労働の成果である財・サービスを為政者へ捧げ続けるという行為は根源的な学問を破壊する。為政者は通貨価値を保つ為だけに罰を与えるのみの仕事なので馬鹿でも務まる。ここからして既に薄ら察せるのだが、奴隷達は個人の事情に無関係な生産活動を続ける。ここに学問に欠かせない多様性を殺す要因が有る。大自然に何らかの形で接する機会は即学問の機会である。

 徴税は第一次産業にしてもその上の第二、第三次産業にしても環境を徹底的に破壊する。何故なら環境なんかに配慮していたら納税の時期が来てしまうから。この前提を無視したまま環境保全をして子孫に美しい自然を遺しても子孫は労働に向かうので満喫する時間は永遠に来ない。動物学者や植物学者や数学者がいるじゃないかと言われるかもしれないが、研究資金という制約がどれほど探求を遅らせているかを検討してみるのも一興かもしれない。

 技術の発展はそれでも目覚ましいと思うかもしれない。だが何と比較してそう考えるのか。多くの発展途上国は元植民地であったり実質的に今でも金で命綱を握られている事が多い。ブレーキが過剰にかかっているか軽くかかっているかの違いは文明が自然な発展を遂げたかどうかの指標にはならない。

貧困は解決するか


 貧困の原因は政策ではない。為政者が握っている徴税権と暴力である。たった1回の暴力支配の結果が世代を無数に超えて人々を苦しめているのだ。この資産が盗まれたままである以上、何億回選挙を重ねてもトマ・ピケティの言う図式の応用になる。
 

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