民間人は負債を持ってるぞという話

 珍しく真摯な姿勢で日本版MMT(現代貨幣理論)を勉強してる方を見かけてテンション上がったので少し援護射撃的なノリで、オリジナルMMTとの「民間人像」の差異を書いてみる。

日本版MMTの民間人像


 ここで言う民間人は庶民、平民、市民、国民、一般人と言い換えても良い。そして主題にもある通り日本版MMTでは民間人が極めて健全な一生を送る想定がされている。しかし民間人の一生は、延いては人間の一生は、ロスチャイルド家に生まれて顎が伸びるか、寺に生まれて結婚する際にウエディングドレスを着るか、という風に十人十色の派生形が有る。当然そこに絡むお金でも様々なポジションを取る。

 民間人は常々債務を抱えがちになる。車や家のローンに止まらず、冠婚葬祭費、水道光熱費、食費、家賃、医療費、交際費、交通費、教育費、TPOに応じる為の諸経費、etc。この潮流の中でアクシデント、例えば父母の産業を継いだは良いものの実は借金が有って、詐欺に引っかかって、事故が重なって、連帯保証人になって、伝説のスナイパーに狙われて、etc...なんかで簡単に破産に追い込まれる。日本版MMTで登場する人物はこれらを殆ど加味されていないように思う。

 日本版MMTは民間人の暮らしを良くしようとの志が見受けられる一方で、民間人の暮らしが見えていない。何故なら現状で日本版MMTが想定する機能的財政支出(景気に呼応した政府の支出)をした場合、民間人が恩恵を受けるには少なくとも職に就いていなくてはいけない。就職なんて簡単だろうと思うなら就職氷河期世代を扱うセンスが無いと言わざるを得ない。

 日本では中小零細企業が大半の産業を担っているとはいえ、日本全体の企業を自由に選べる訳ではない。異次元のフッ軽を発揮出来ずに重労働へ赴こうという動機は少なくともそんな不自由さから来る場合が、特に創生が叫ばれる地方では多く見られる。そして往々にして地方と都心の賃金格差は是正されにくい。日本版MMTが想定する機能的財政支出は「元々存在する」経済格差を放置してインフレを徒に惹起する事で一夜城よろしく一夜好景気の実現には申し分ないのだろうが、負債の返済ペースの問題が抜け落ちていては片手落ち感が否めない。そしてこの政策の最大の被害者は社会的弱者である。

オリジナルMMTの民間人像


 「金が有ってもモノは無い」というのは戦後すぐの話...ではない。日本版MMTでも財源問題は無いと言っているのに職種によっては金を付けても労働者並びに必要物資が確保できないであろう可能性は既に論じられている。寧ろ他の職業でも賃金が高いのに、態々必要以上の労賃の為に生活を犠牲にして稼ごうと思うだろうか。思うのなら寧ろそれに纏わる危険性を軽視できまい。

 金を求める価値観が、というよりも野心家や努力家が労働内容と効率のどちらを求めるだろうか。どんなに美しく、例えば子孫に財産を遺す為と言えども銀行に眠らせるよりも投資に回す方が更に効率的だ。株に、不動産に、仮想通貨に...大量の金が一国単位で雪崩れ込む時、その挙動を見て商品の売り手は「今後もっと儲かる」と喧伝するのは自然ではないだろうか。

 しかもこれは労働者に限った話ではない。既述の通り経済格差は放置されているのだから、金持ちが更に金を求めて、より多くの、それも半ばグレーな手法も用いながら優良な客として下手をすれば売り手と手を組んで計画的に商品の価値を上下させ得るのではないか。

 これらの懸念がオリジナルのMMTにJGP(就業保証プログラム)という政策提案を誕生させている。つまりは社会的弱者に金を優先的に回す事で経済格差をなるだけ是正してスタートラインを、完全とはいかないまでも均一化しようと試みている。この民間人の就業に対する政策に加えて日本版MMTの言う通り不可欠の公共事業や行政サービスなどの持続的・恒久的な支出が欠かせないという観点から、日本版MMTの提唱する景気に応じた臨時支出(機能的財政支出)には反対姿勢を採っている。

終わりに


 政府は民間人を救う力を持っているのはその通りだ。言い換えれば一国を操作できる。その国家が作り出した社会に、今度は国家が引き摺られればどんな摩擦が生じるかは恐らく精彩を欠く形でしか予測できないだろう。日本版MMTの持つ志は尊重したい。そう思って書いたのだから。ただの順番の問題だからこの認識の壁はいずれオリジナルMMTとの接着剤になってくれると信じている。

 因みに私自身は最近学問アンチなのでオリジナルと日本版のどちらも支持しない。

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