篠田節子さんの「夜のジンファンデル」を読みました。
この本を読んだきっかけは単に「ジンファンデル」ってどんな意味?という疑問からでした。
篠田さんの小説は、現代人が囚われている法律や規範、あるいはタブーなどをはみ出して描かれることが少なくない。
最初はこの短編たちのテーマを因果応報みたいな感じに受け取っていましたが、すこし違うというか、もう一つ、画一的になりすぎた現代社会の常識が、本来必要のない自己批判や後悔をも生み出すもとになっているというテーマが底流にあるのだと感じました。
自分の人生が狂っていると思うのは、他者が理性的な人生を送っていると感じて、それと自分を比べたときに起こる思考ではなかろうか?
では、そもそも理性的な人生とは何であろうか?
篠田さんの「冬の光」を読んだときにも感じた、規範的な生活あるいは人生への疑問がより鮮明になりました。
時に欲望や欲求を押さえて精進的な生活を送ることもあるし、張りつめて頑張っていなければいけないこともあります。
ですが、肩の力を抜いて自然体で生きようとすると、欲求との折り合いや規範との折り合いを、スムーズに自分の心に照らし合わせて、無理なく行うという作業を、心穏やかに粛々と行わなければならないはず。
法律を犯したり、他者に迷惑をかけたりすることを除けば、自分の心の内で処理できるならば、生きるためになんだって自分を許して良いのだと思います。
他人からどう見えるか?あるいは他人はどうしているか?という心配はいつから固定化されて、あるいはいつから希薄になってきたのか?
照らし合わせる法律や規範をバランスよく配置して、心に無理なく生きられる・・・そんな生活がしたいですなぁ・・・。
もともと平等である人の命を、あたかも支配することができるようにふるまう人とはなるべく距離を置いて、生活格差も関係なき事と放っておいて、僕は僕の人生を生きることができれば、それ以上何も望むこともないですね。
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