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小手鞠るいさんの「天使の子」を読みました。

大人になってからちょくちょく思考を巡らすことがあります。
人間関係や男女関係に悩むと、家族の最小単位である夫婦関係に考えが及びます。
「愛情の形」「恋愛の形」僕は疎くて、あまりはっきりした考えを自分の中に持っていません。
というよりは、いろんな形がある、もしくは形がない?のかもしれない。
何をもってその人を愛しているというのか?
その人と恋愛関係にあるというのか?
正直この歳になっても、全然確固たる答えを見つけ出すことができませんでした。

「好き」と「愛してる」・・・似て非なるもの・・・でも、時々同意・・・。
愛がなくても生活はできるが、生きていくのは辛い。
愛があっても、生活ができなくては、やはり生きていくのは辛い。
心の置き所なのか?よりどころなのか?はたまた心そのものなのか?

あいも変わらず、グルグル回る思考の結論は、いつか一人になるであろうということ。
死ぬときは一人、死ななくてもきっと一人になる・・・。
自分は、愛と同時に孤独を欲している。
矛盾してるが、そうとしか考えられない。
最終的に選ぶのはどちらか?
ならばなぜ愛を求め、孤独を欲するのか?
きっと永遠に答えは見つからない・・・・。

人が人を作り出す行為が官能と結びつくのは種の保存のためみたいに言われるが、官能そのものを望むのも嫌いではない。
むしろそのために人格をかなぐり捨て、営みに精を出すことに嫌悪感などない。
ただ、他者を傷つけたり、追い込んだりすることがなければという前提ではあるけれど・・・。

今回の作品は、最終的に制度の外側で起こった命の誕生を扱っているが、どこからどこまでがまっとうな性の営みであるのか?あるいは、まっとうな家族関係なのか?正直わからなくなる。

本人同士が納得してれば良いのか?
それとも社会が認めていれば良いのか?
人間を想像した神のみが知ることなのか?
僕は本人同士が納得してれば、それでよいと思うのだけれど・・・。

リスクを承知して避ける処置をしたうえで、どこからどこまでが男女の関係になれるのか?
定まっているようで、実はまだ模索している歴史の過渡期にいるのではないか?という気がしてならない・・・。

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