見出し画像

堀美術館(名古屋市)

名古屋市・栄のビル街のそばにひっそりと佇む、堀美術館。「文化のみち」と呼ばれる閑静な通りの一角にあります。ソフトウェア会社などを持つダイテックグループの創業者、堀誠氏が2006年に開設した美術館とのこと。

右下の建物も美術館の一部です。三岸節子の作品がズラリと並んでいます。

一階は日本人の洋画と、三岸節子のコレクション。二階は横山大観らの日本画と、棟方志功の版画が見られます。

特に三岸節子の重厚で多彩なコレクションには、圧倒されます。
愛知県には、一宮市三岸節子記念美術館がありますが、(企画展のタイミングがあったとは思うものの)、私の場合、こちらの方が彼女の作品をたくさん見られました。
大ぶりの傑作が、ズラリと並んでいます。
実に、どれもこれもが傑作です。
対象を抽象化し、大胆な色彩のコントラストを生み出すその手腕には、芸術家の気迫がほとばしっているようです。
具象も抽象も、思想も自然も、すべて豪腕でねじ伏せ、面白味のある芸術作品へと昇華していくひたむきさが伝わってくるようでもあります。
その執念が、怖いくらいでした。
展示空間はラグジュアリーで、見事に演出されています。

『室内』(堀美術館のHPで公開されています)
私のつたない模写ですみません…
天国の三岸節子先生、三岸ファンの皆さん、お怒りになりませんよう。

■その他、感動したものを順不同で。

藤田嗣治『エバア』…旧約聖書の「創世記」に登場する、イブを主役とした一枚。絵の中心には、禁断の果実を手にした美しいイブ。その隣にアダムはおらず、禁断の果実の生る木には毒々しい蛇が巻き付き、そしてたくさんの猛獣、鳥獣が彼女の背後(背景)で、目を爛々と輝かせています。藤田嗣治の絵は、正直、好みではありませんでしたが、この一枚には惹かれました。イブは美しく、コケティッシュな女性として描かれています。動物たちは、彼女の美しさに惹かれていますが、イブはそんな動物たちには見向きもしません。彼女の胸にいるのはアダムだけ(まだ見ぬ状態かもしれませんが)なのです。自分を夢中にさせてくれる恋人以外の存在は、まったく眼中にない天真爛漫な女性。そして、アダムの不在。
ここから導かれるのは、この絵の持つ意味の二重性です。
一つ目の意味は、まったく相手にされない獣(=男たち)の報われない欲望。その立場でこの絵を見ると、イブが美しければ美しいほど、マゾヒスティックな快感、倒錯的な欲望が解釈されます。
二つ目は、ここにいないアダムの視点から見たイブ、という観点から導かれます。禁断の果実を手にし、「その実を食せ」と唆してくる蛇を前に、全く警戒していない無垢な(愚かな)イブ。しかし、その白肌はキャンバスの中で際立っています。つまり、そうした女性観が(現代では、怒られる見方だと思いますが…)ここから導かれます。
アダムは、それらを全てひっくるめて、イブを愛します。禁断の果実を平気で持って帰ってきても、やはり愛している。ある意味でそれは、上とは違った意味で、マゾヒスティックな愛と言えます。
しかし、こんな理屈を抜きに、実に繊細な色遣いで描かれたイブの美しさ、そして獣たちのリアルな描写を楽しく鑑賞できる一枚です。イブが薄着ですので、長くその前に立っているのは少し照れますが…芸術なのだからいいはずなのですけど…。
女性讃美、エロティシズム、教養、鋭い才気。レオナール・フジタという画家を再認識しました。

長谷川利行『ノア・ノア』…この画家の名前を見るだけで、ある種のありがたみがあります。タッチはやはり荒々しく、刺々しく、険があり、描かれた女性もまったく愛嬌がなく、こちらに迎合してきません。見ていて楽しい絵ではありません。
しかし、模写してみて一つ、分かったことがありました。極めて写し取るのが難しかった。二回挑戦しましたが、まったく似せることができませんでした。(もちろん、私の未熟が主な原因なのですが…)
私なりに、この画家のタッチがいかに独自で特殊なものなのか、心底、実感しました。

須田剋太『扇の女』…初めて知りましたが、無頼の画家だそうです。やはり険のあるタッチ。なぜなのでしょう、「無頼の画家」と聞くと、それだけでありがたく思ってしまうのは。

横尾忠則『交感神経と副交感神経の結婚』…すごい絵でした。現代性の洪水。

『交感神経と副交感神経の結婚』

梅原龍三郎『南仏カンヌ風景』『裸婦像』…ふつうにすごい。
加山又造『雪・櫻島』…緻密さと抽象性と。

余談ですが、一階の常設展示室の、いかにも昭和なベンチも、とても気に入りました。熊谷守一も見られます。
たっぷりと2時間、楽しめました。
                      (2023年2月訪問)

堀美術館(←情報はこちら)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?