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別れはなぜさみしいのか

どうして別れは寂しいんだろう

別れは寂しい。そんなのは当たり前だと片付けることは簡単だ。

しかし、どうして寂しいと感じるのか私の思いがぼんやりとしていて、自分の中で消化できないものがある。

一週間ほど前に大学の卒業式があって、いざもう大学の人達と会えなくなると思うと急に寂しさを感じた。大学には仲良かった友達、それほど仲良くなかった知り合い、苦手な人などさまざまな距離感の人がいる。

不思議なことに、それほど仲良くなかった友達すらも会えなくなると思うと寂しさを感じたのである。寂しいというか、心にぽっかり穴が空いた感覚に近い。苦手な人は知らん笑

私の中で、心にぽっかり穴が空いた感覚というのは、何かを失った感覚に近い。何かを失ったということは、相手のことを自分の所有物のように考えていたということなのかと私は書きながら思った。

逆に出会いは寂しいとは感じない。むしろ煩わしいとすら思う時がある。
会社に入社したり、大学に入学したり、アルバイトをしたりして、新しいコミュニティに入ることはなんだかめんどくさい。

その人達とまた一から人間関係を作らなければならないからめんどくさいと思うのだろうか。それは、とても時間のかかることだからめんどくさいというのもあるだろう。

私は時に、新しい友だちがほしいとフッと思うことがあるが、そう思うときはこの労力のことを忘れて言っているのだろう。

私は大学の卒業式という行事の区切りを通して、別れは寂しいものだと感じた。

普段の生活の中では、友達と遊んで別れるとき今のような心にぽっかり穴が空いた寂しいという感情は起こらない。寂しさはあっても、ありがとう❗またね~って感じだし、早く家に帰って寝たいという気持ちも正直ある。笑

つまり、普段の私は友達と遊んだとき、また会える存在だと私は思っているということだろう。

長々となってしまったが、なぜ別れは寂しいのかを改めて考えると、簡単に会えなくなってしまうから寂しいということなのだと今の私は考えた。

だけど、この寂しさは何かを失った感覚に近い。家にあるけど使わなくていらないものでも、いざ捨てるとなるとためらい躊躇する感覚である。

これが、それほど仲良くない人でも別れを寂しいと感じる理由だと思った。

仲良い人との別れが寂しいのは、気軽に遊べる友達がいなくなるから自分にとって寂しいということなのだろう。

極端な話、親が死んだときも、頼れる存在がいなくなるから寂しいという心の奥底にある気持ちに近い。

結局は、自分にとって遊べる友達が、頼れる存在がいなくなるから寂しいのなら本当の寂しさとはなんだろうか。

私は大学の卒業式という行事の区切りをを通して「別れ」「寂しさ」をたまたま考えることができた。

そして、人との別れというのはいつくるかわからない。だからといって、毎日が卒業式かもしれないと考え続けることはできないし、正直疲れる。

卒業式の前日と当日では、自分と相手の関係性は何も変わっていない。

だけど、卒業式を通して、その人ととの別れが寂しい感じた。
もっと言えば、人との別れはどうせ寂しい。

それならば、うまくは表現できないが、せめても目の前にいる自分と関わっている人に優しくなろうと思えた。


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