不登校、虐待、精神疾患

私はPTSDと鬱病を患っています。ほとんど毎晩、強烈に死になくなります。でも、まだ死んでいません。うまく死ぬことができません。

現在唯一の希望は、1年ほど前に診断された難治の身体的疾患によってスイスでの安楽死が許可されることです。


何故こんなに死にたいのかと考えた時に、やはり中学時代の経験抜きには語れないと気づきます。

幼少の頃から母子分離不安がありました。DVを受けていた母親の不安定さが伝わっていたのだと思います。当時すでに不眠症に悩んでいました。

小学生になる前にはエレベーター、地下鉄、初めての場所でのパニック発作のようなものがありました。また、心因性の頻尿でもありました。

自分の長所を発表する授業では何にも思いつかなくて困ったけれど、まあそのうち見つかるくらいには思っていました。
希死念慮はあっても強烈な自殺願望や自己否定感はありませんでした。まだ、逆境を力に変えることができていました。


中学生で鬱病になり不登校になったとき、両親は寄り添うどころか私を殺しかけました。ただでさえ希死念慮に苦しめられていたのに、殴る、蹴る、首を絞める、冷水をかける、髪の毛を掴んで引き摺り回す、顔を鷲掴みにする、ものを投げつける、暴言を吐くという虐待行為を受けました。

鬱病を理解しようとせず、医師の助言を無視して無理矢理旅行に連れて行ったり、嫌味を言ったりしました。暴行も含めて、「良かれと思ってやった」らしいです。その言葉は嘘ではないのだと思います。両親も確かに追い詰められていました。私の存在を恥じていました。

学校に行けない自分が悪いのだから当たり前だと思っていたので、誰にも相談しませんでした。その頃から私は、自分が生きる資格のない、死ぬことを望まれている人間なんだと考えるようになりました。

時期が来て不登校はなおりましたが、精神疾患とストレス性の身体疾患が残りました。あの瞬間よぎった自死から逃れることはもはや不可能になりました。

不登校になった時、両親がカウンセリングを受けるなどして機能不全家庭に向き合えば、ぜんぜん違ったと思うんです。彼らはチャンスをドブに捨てたどころか、決定的に対応を間違えました。

暴力や暴言は死を身近にします。自分を痛めつけることに慣れてしまうからです。多少痛くても怖くても、気にしなくなるからです。



まとまりのない文章になってしまいました。体裁にとらわれると大事なことが抜けてしまう気がして、思うままに書いてみました。

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