動物化するポストモダンと建築的解釈

本日は、動物化するポストモダン(講談社現代新書 東浩紀)を読み終わったのでなんとなく解釈と建築を学んでいることの共通的な認識や解釈を描いてみようと覆います。

まず、筆者の東浩紀はゲンロンという会社の創設者であり、建築家の浅子佳英さんの元職場でもあります。
浅子さんは現在はPrint And Buildという建築と出版を取り扱おうとする会社を立ち上げていたりします。このように筆者の東さんと建築のつながりが若干見えます。

まず、ポストモダンの前にモダニズムについてです。モダニズムは建築出身の言葉で1900年くらいから始まった非装飾の現代的系な建築のことを表します。ポストモダンはそのモダニズムに反発する形で現れます。
この本ではポストモダンを1970年の大阪万博以後という位置づけです。これは建築においても同じような認識です。大阪万博はメタボリズムと言われる宣言の建築家集団が躍進しており、建築においてモダニズムから変化する建築に関心が変化していく時代です。
この時代の少し後にはインターネットなどの登場によってナラティブな物語だけではない、二次創作の発生もあります。この本ではその二次創作の発生が世間や人々に与えた認識について記してあり、非常に納得感のある論であります。
具体的内容としてはアニメなどの作品を通じて作品の原点を徐々に理解し、作品の原点をわかることが最終目的のような旧時代のアニメに対し、ポストモダンのアニメ論は作品を通じて原点をわかるだけでなく、原点には製作者以外の考察や論を組み込むような余白のようなものがあるのが現代のアニメです。

この著者の動物化という言葉は、動物は欲求という欲しいものを手に入れたら終わりというものに対して、人は欲望という欲しいものを手に入れてもなお止まらない欲のようなものを持っています。
現代のアニメは今までは欲求的なものを満たしていたのに対して現代は欲望のようにアニメの中だけでなく二次創作やコスプレなど外にも求める対象が滲み出しています。

しかし、ポストモダンでは欲望を求めすぎるあまり、欲求的になっているのではないか。インターネットの普及で欲求的な一対一対応の認識の強さが現れているという風な捉え方をしました。

この本を読んで建築的に考えると現代は欲求的な一対一対応の部屋を求めるよりは欲望的な複数通りの部屋を求められる傾向があります。
しかし、建築的にはこの空間をユニヴァーサルスペースと呼ばれ、モダニズムの巨匠、フランクロイドライトがよく使用しています。欲望と欲求という観点から見るとモダニズムから欲望はあったとも言えます。
しかし、インターネット的なスーパーフラットと言われる面の中に世界を見出すことはポストモダンの時代から建築に登場しています。
妹島和世はスーパーフラットの代表作の再春館寮を作ります。これはエヴァンゲリオンブームの少し前ですが、スーパーフラットの建築とインターネット的な登場はほぼ一致しています。

今回はあまり話がまとまりませんでしたがここまでにしておきます。

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