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『もしもあの人と入れ替わったら』
20231015
誰かと、少しの間だけ入れ替わってみたいと思うことがよくある。
自分が嫌いとかではなく、単なる好奇心から、今自分があの人と入れ替わったら何が見えるのだろうと考える。
小学生の時、家で5人組アイドルのコンサートDVDを見ながら、今自分がそのアイドルと入れ替わったらどんな景色が見られるのだろうと思った。
あれだけのファンを目の前にして、照明が当たっていて、ただ単純にかっこよくて憧れていただけかもしれないし、黄色い声援を浴びてみたかっただけかもしれないが、そのアイドルがコンサートで見ているであろう景色を勝手に想像して、少し興奮していた。
中学や高校の時、ぼんやり授業を受けていると、なにやら足音がして、授業が早く終わったのか教室の前の廊下を歩く生徒がいた時や、授業中に校庭や中庭で草むしりや掃除をしている主事さんを見かけると、その人たちと入れ替わりたいと何度も思った。
なぜ、自分は今この瞬間、この教室から出ることができないのに、あの人たちは外で自由に活動できているのだろうという自己中心的ともいえる疑問が常に頭にあった。
最近は、もしもスタジオでテレビの収録をしている芸能人と入れ替わったら、思いのほか黒や灰色の景色が広がっているのではないかということを考えるまでに至った。
どれも全て勝手な妄想で、もしも自分が本当にアイドルや芸能人と入れ替わり、その人の内にある意識や主導権を握ったら、問題ばかり起こることは目に見えている。
しかし、一つだけ、本当に自分が入れ替わっても全く問題ないのではないかと考えられる、人と瞬間がある。
それは、プロ野球においてホームランボールを見送る外野手だ。
完全に届かないホームランボールを見送る外野手なら自分がやっても何の問題もないと思う。なぜなら、「見送る」だけだからだ。ホームランボールを見送る際、外野手はなんとなくそのボールの方向に向かって、何歩か走ったりするが、結局ボールはスタンドに入るので、誰がやっても特に問題は起きないはずだ。
そうだ、あの瞬間なら、僕はプロ野球選手と入れ替わっても大丈夫なんだ。あの瞬間なら、「プロ野球選手」を味わうことができるのだ。
毎日こんなことを考えて、何になるんだろう。
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