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『薄いクリスマスプレゼント』

20231231


 1週間ほど前の12月25日、自宅に封筒が届いた。


青い封筒に「善方基晴様」の文字。

一体、どこの誰が僕にこんなものを送ったのか、もしかしたら、誰かが僕のペンフレンドになろうとしてくれているのかもしれないとわずかな希望を抱きながら、見てみると、そこには一枚の書面とステッカーが入っていた。


 それは、数週間前に軽い気持ちで応募していた、『又吉・せきしろのなにもしない散歩』という番組のイベントで行われた、「なにもしない散歩自由律俳句大賞」にて、自分の作品が佳作に選ばれたため、番組からステッカーをプレゼントしていただいたということだった。



 クリスマスプレゼントを貰わなくなったいま、突然12月25日に届くという、おそらく意図であろうな粋な計らいも相まってとてもうれしかった。

なにより、又吉さんとせきしろさんの目に自分の自由律俳句が触れて、それが佳作ではあるものの、それなりの評価をいただけたことは、今後も自分が生きていくうえで心のよりどころになる気がした。



 自分の中にあるこの喜びを誰かに知ってほしい、共有したいという思いが大きくなり、次の日に何人かの先輩に一連の経緯を話したところ、興味こそ持ってくれたものの、

そもそも自由律俳句とは何なのか、どれくらいの人数が応募していたのか、「佳作」は賞の中でどのあたりのポジションなのか、番組ステッカーにしてはサイズが大きいのではないか、自分の靴ばかり見るな、下を向くな、いつもグレーの帽子を被るな、しまいにはあまりすごさが分からない、とはっきり言われてしまった。



 
 すごさを分かってほしいというよりも、この喜びを共有したかっただけなのに。


しかし、世間一般において、すごいとされているものは、すごさがわかりづらいものが多かったりする。例えば、日本の伝統芸能とか、伝統工芸品などは、周りの人がすごいと言っているから、自分もすごいと思っている節がある気がする。

だから、今回すごさが伝わらなくても別にいいのだと自分に言い聞かせ、僕はまたグレーの帽子をかぶり、散歩に出かけます。

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