日記_220609

汚い言葉で綴った詩を一編書いてすぐに捨てた。

感情を刺激してくるのはだいたい「この手」のニュース。
なんつーか、こういう人間は「敵」に思えてつい攻撃したくなってしまう。

しかし、誰かを攻撃するためだけに書かれた詩は美しくない。
ニュースを受けて感じる気持ちは瞬間的な「怒り」ではなく、その先の「何か」だからだ。
それがきちんと組み込まなれていない詩は片手落ちでチープに感じられた。
だから捨てた。

100%の悪が存在しないことは理解している。
どんなに理解不能な行動も、そこに至るまでの過程が必ずあることを、理解はできずとも受け入れなければならない。
起きたことは凄惨で許せないが、だからといって「手足をもがれて糞溜めに放り込まれ」たり「無造作にちぎられ燃やされたへその緒で縊られる」べきではない。

許す必要はないが「そんな奴もいて、そいつなりの事情がある」ことは知らなければならない。

なにより一番強く感じたのは憎しみではなく、被害者に対する「幸せに向かって強く歩んでほしい」という気持ち。
これまでは悲惨だったが、気づいたその日から幸せに向けて進んでほしいと思った。
その気持ちは、自分のことも勇気づけてくれた。
それが形にするべき対象だと思った。