星座と葬列(詩)

 「なんまいだー。なんまいだー。」
もう30メートルは離れたであろう真っ暗闇に大僧正と呼ばれる男の気だるい声がこだまする。3メートル程先でこの地域の人間であろう男が4人、空の棺桶を担いで行列に続くのである。まばらな人々は蝋燭行燈に飾られた夜道をのっそりのっそりと歩き、それはいつかに絵本で見た葬列そのままの姿となっていた。関東平野の山を一つ越えた向こう側であるこの地域には都会の明かりは届かないようで、荘厳と言っていいほどの星空が行列の向こう側に広がっている。標高が高いため、道の端っこは夜空であり、南米ペルーのマチュピチュを思わせる。地区の儀式を取り仕切る役であろう初老の男たちは皆一様に唐草模様のマントを羽織り、頭には白い紙でできた三角の被り物。あまりに即席の感がいなめない風貌に学芸会の劇を思わせた。
 「〇〇さんどうします、ついてきます?」
 私の付き合いでこの祭にきた友人は先程まで時計ばかり見ていたくせに、今では目を輝かせている。
 「うん、せっかくだし、ついて行こう。」
 ゆっくりと歩を進める行列に私達も混ざる。よそ者である我々を特段気に止めるでもなく、地区の住人達は祭りを続ける。おそらく私達のような変わり者がいるのは毎年のことなのであろう。行燈のぼんやりとした光と行列、気の抜けた声に身を委ねると気付けば鳥居の前に立っていた。帽子を取り、一度会釈をして鳥居をくぐる。幾人かはそのまま鳥居をくぐらずに待機している。鳥居の向こうは全くの闇であるが、毛細血管のようなさらに濃い影が木々に囲まれていることを気づかせるのである。このまま異世界に迷い込んでしまうのではないかという不安にはある種酩酊に似た陶酔があり、列から出られなくなってしまう類の怪談の登場人物はおそらくこんな気持ちだったのだろうと考える。
 金物の音が銀河、星雲の底である我々のいる地点に侘しく鳴り響き、ガヤガヤとした人々の話し声はもはや異類のざわめきにしか聴こえないのである。
 「なんだかめちゃくちゃ非日常でいいっすね」
「まったく。ほとんどミッドサマーだもんな。アリアスター監督の。」
 列はいよいよ終着の社に辿り着き、空の棺桶は社に捧げられる。死装束の陽気な老人が棺桶に入り、最後には万歳の唱和で儀式は終わる。もともと生贄の儀式だったものが形を変えたのだ、とか、酔っ払いがふざけて死んだふりしたのが始まりだとか、諸説ある祭りらしい。どちらにせよ、その光景の幻想には暴力があり、私の価値の天蓋を揺さぶる何かがあった。それは秩父鉄道に乗りたいがために付き添っている友人の鉄道オタクも同じのようであった。
 「あ、オリオン座、やっぱくっきり見えますねー」
見上げると無数の光点に混じりオリオン座が見える。しかし、私は彼と別のことを考える。普段よりも多くの星が見えるため、オリオン座の形が逆に不明瞭な気がするのである。あの特徴的な台形がもはや星の海に溺れかけて形を失いつつある。光は決して光を浮かび上がらせるものではない。塗りつぶされた暗黒こそが光を光たらしめるのである。どこからどこまでがオリオン座であろうか、そんなことをぼんやり思う。
 我々は日々、定点として場面を集め、それを繋いで物語を生きている。まるで星座のように人生に意味などを見つけるのである。今宵目撃した儀式もそのような場面のひとつなのだ。それが増えれば増えるほど、きっと星座は溺れてゆき、結んだ線は無限に広がっていくのである。であるならば、オリオンに出会うことも、まして、冒険に出ることもなく我々は美しい夜空に住することができるのではないか。縦横無尽に光を繋いで、闇を愛することができるのではないか。オリオンを溺れさせたとき、私達は何にでもなれるのだ。この世をキャンパスとするのはそれからだ。
 解散した行列はガヤガヤとまだ、山の向こうで蠢いている。
 「さて、帰りますか」
いつか、この夜の光景も、何か別の何かと結ばれて、夜空に輝くこと。それを期待して、私は友人に語りかけたのであった。

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