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やりたいこと、好きなことがわからないあなたへ(39話)

「社員にならないか? 俺もいつまでも、自分1人で全部をやるのは無理だから」
 和菓子店の社長に、製菓学校への入学について話すと、社員というプラス評価の言葉をいただいた。
 さらに実際に社員として働くのは、学校を卒業してからでよいとも。社長の気持ちが嬉しかった。

 そんな話があった翌月、私は今まで感じたことのない異様な頭のだるさに襲われた。ちょうど雛祭りやお彼岸の時期で、体調を崩している場合ではなかったが、数日経っても全く良くならない。
 そして1週間が過ぎても、体調が改善することはなかった。これは明らかに変だ。何かがおかしいぞ・・・。原因が分からず、不安を抱えながら何とか仕事を続けていた。

 しかし間もなくして、まともに仕事ができない状態にまで陥ってしまった。自分でも信じられないくらい記憶力や判断力が著しく低下し、大きなミスを重ねてしまったのだ。
 お客様の前に出て接客する力も自信もなくなり、限定的な仕事をするだけで精一杯だった。
社長からも、「今のままでは、一緒に働くのは難しいよ」と告げられてしまった。

 1カ月近く経っても体調が回復しなかった私は、間近に迫っていた製菓学校への入学を考え、2つの病院へ行くことにした。1つは健康診断でもお世話になった普通の病院。そしてもう1つは、精神科のクリニックだ。

 私にはもしかしたら? と気になっていることがあった。それは " うつ病 ” の入口に、自分は来てしまったのではないか? という大きな不安だった。
 本屋に行くのが習慣になっている私は、<積極的で行動力があるタイプの人が、ある日突然うつ病に>、といった話にも目を通していた。
 まさか自分に限って・・・ と思いつつも、うつ病の可能性を完全に否定することもできなかったのだ。

 普通の病院へ行くと、先生からは「全然うつ病なんかじゃないよ。大体うつ病だったら、そんな客観的な判断できないから」と、あまり気にしないようにと言われた。
 しかし、" まともに仕事ができない “ 現実は変わらず、何か手を打たねばならない。

 次いで訪れた精神科のクリニックでも、はっきりとしたうつ病の定義はなく断定はできないと言われた。
 ただ1カ月近くも頭のだるさが取れないのであればと、うつ病の初期症状で使用する精神安定剤を勧められた。抵抗感はあったが、今のままでは話にならない。私はその薬を試してみることにした。

 精神安定剤は確かに効果があった。特にひどかった午前中のだるさから、久しぶりに解放された。思考力全般への違和感はまだ残っていたが、それでも以前よりはだいぶ楽になった。
 しかし和菓子店での細かい仕事を責任持って行うには程遠く、製菓学校入学を機に店を辞めた。

 かけ持ちで続けていたパン屋は、自分のペースで仕事を進められるため負担も少なく、生活費の面を考慮して続けることにした。
 神様が少し休めと言っているのかな? そんな気がした。


 製菓学校の夜間クラスには、さまざまな人たちが集まっていた。当然、昼間はほとんどの人が働いていて、和菓子店や一般の企業などそれぞれ違う。
 クラスは約25名で、5名ずつの班に分かれて学んでいく。どの先生も皆熱心に指導してくれ、予想以上に素晴らしい環境だ。

 ただ夜間クラスは限られた時間の中で、昼のクラスと同じ内容を学ぶため、実習で繰り返して技術を習得するのは難しそうだった。今すぐは無理でも早く体調を戻して、和菓子店で働きながら学校に通うべきだと感じた。

(つづく)



※(1話〜2話)はチベット旅行、
(3話)〜は時系列でつづくエッセイです。

※チベット再訪へとつながる東南アジアの旅は(13話〜17話)をご参照ください。

※マンション営業時代のエピソードは(9話〜12話)をご参照ください。

※洋菓子店でのエピソードは(23話〜25話)をご参照ください。

※イタリア旅行・カフェオーナー夫妻とのエピソードは(29話〜31話)をご参照ください。


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