週刊「我がヂレンマ」<2月5日号>

 雪降る2月、最初のレギュラー企画です。大体やるべきことが分かっているため、他の曜日よりも書きやすい、オアシスのような日。毎日オアシスで水浴びが如く楽園ならいいのに。そんな都合のよいことはありません。
 宿命です。やるしかないのです。ええ、運命なんで。
 今週は<メモについて解説と考察><最近、購入した書籍><書くことが浮かばないとき>です。御託はこれくらいにして、レッツゴー。

<メモについて解説と考察>

「猖獗(しょうけつ)」
『猖』と『獗』の漢字は、ともに「狂う」「猛る」「暴れ回る」を意味する。これらが合わさった『猖獗』は、猛り狂うこと。転じて、悪いものが猛威を振るうことを意味するようになった。
 多くは「猖獗を極める」の形で使い、悪い物事の広がりがこの上なく勢い盛んになることを表す。だそうです。難読漢字であり、常用しない単語である。使うとしたら「松本人志に関する文春の報道は猖獗を極めている」だろうか。あってるか不安です。高卒なんで。

「歩行者地獄」
 ~天国の場合は車両通行止めの規制をおこない、車道部分を含めた道路全体を歩行者用道路として歩行者があるけるようにした空間のこと。
 ということは~地獄の場合はどうなるのか。逆に歩道も車両が通行可となり、あらゆる交通法が通用しない無法地帯と化す。まさに地獄。轢かれたとしても、文句も言えない。それは誰のためなのか。好き好んで歩行者を轢き殺したい人間なんているのか。くわばらくわばら。

「互恵的利他主義」
 あとで見返りがあると期待されるために、ある個体が他の個体の利益になる行為を即座の見返りなしでとる利他的行動の一種である。
 これは生物学の概念だが、人間にも当てはなる。社会性の生き物である人間は、「お互い様」「利益を与える」「利他的行動」これによって複雑に構成され、成立している。その歯車のひとつとして懸命に生きなくてはいけない。と綺麗ごとを書きましたが、世の中、利己的行動で優位性を得る人間もいる。それは経営者だったり、イノベーターだったり、略奪愛を成功させる女性であったりする。

「赤ん坊が生まれた日に殺される確率は、他の日に比べて100倍高い」
 怖い。これは『暴力の解剖学 神経犯罪学への招待/エイドリアン・レイン 高橋洋・訳』の一節だったと思う。
 理由はうろ覚えだが、大体こんな感じだったと思う。
「実の母親に遺棄される」
 哀しいことだが、現実である。産んだ直後に誰にも相談できず、公園に遺棄してしまったとか、大人の事情によって死を迎えることがある。出来れば乳児院や自治体に相談してほしいが、中には境界知能の人間もいる。発想にない人もいるということだ。酷い母親だと断罪するまえに、よくよく事情を聞くべきだろう。社会の課題を発見するべきだろう。

「歴女⇒ヒス女」
 歴女とは、日本史が好き、または歴史小説を愛読書としている女性のことを指す。戦国無双や戦国BASARAなどゲームが切っ掛けで歴女になった人も多いのでは。とすると、『ヒス女』とは勿論「ヒストリー女性」の略である。けっして、「ヒステリー女」の略ではない。勘違いしてはいけない。
 私を見くびってもらっては困る。

「索漠(さくばく)」
 心に満たすものが無く、もの寂しくかんじるさま。荒涼として気の滅入るさま。「冬枯れの――とした風景」「――たる思いにとらわれる」だそうです。これは巧く使えたらカッコいいですね。
「オジサンの索漠とした禿げ頭」
「大地震あとの索漠とした光景」
「独身男の部屋は、索漠とした様子だった」
 悲しくなってきた。もうやめよう。

「ジーン・ウルフ」
 アメリカ合衆国のファンタジー、SF作家(1931年5月7日ー2019年4月14日)。世界幻想文学大賞、ネビュラ賞、ローカス賞、ジョン・W・キャンベル記念賞などを受賞した、心血管疾患で死んだ人。
 新しい太陽の書シリーズが有名らしいです。『拷問者の影』『調停者の鉤爪(つめ)』『警士(リクトル)の剣』『独裁者の城塞(しろ)』『新しい太陽のウールス』の五作。
 私は『ケルベロスの第五の首』を所持してます。未読ですが。

<最近、購入した書籍>

「雪国」 川端康成
 新緑の山あいの温泉で、島村は駒子という美しい娘に出会う。駒子の肌は陶器のように白く、唇はなめらかで、三味線が上手だった。
 その年の暮れ、彼女に再び会うために、島村は汽車へと乗り込む。すると同じ車両にいた葉子という娘が気になり・・・・・。葉子と駒子の間には、あるつながりが隠されていたのだ。徹底した情景描写で日本的な「美」を結晶化させた世界的名作。ノーベル文学賞対象作品。
 なんの思い付きか、偶然か必然か、購入しました。安くて薄いし。

「変身」 カフカ 高橋義孝・訳
 ある朝、気がかりな夢から目をさますと、自分が一匹の巨大な虫に変わってしまっているのに気がついた男グレーゴル・ザムザ。なぜ、こんな異常な事態になってしまったのか・・・・・。その謎は究明されぬまま、ふだんと変わらない、ありふれた日常がすぎていく。事実のみを冷静につたえる、まるでレポートのような文体が読者に与えた衝撃は、様ざまな解釈を呼び起こした。海外文学最高傑作のひとつ。
 なんの思い付きか、偶然か必然か、購入しました。安くて薄いし。

「キンドレッド」オクテイヴィア・E・バトラー 風呂本惇子/岡地尚弘・訳
 26歳の誕生部をむかえた日、黒人女性のディナは、突然19世紀初頭の奴隷制下の地へタイムスリップし、ルーファスという白人少年の命を救う。
 ルーファスは、黒人奴隷を多く抱えた農園主の息子であった。1世紀の時を超えた彼の元への、重度なるタイムスリップの理由が、次第に明らかになていく。人間の本質を問う、アフリカ系アメリカ人SF作家の金字塔。
 
 作者は1947年生まれ。アメリカのSF作家。アフリカ系アメリカ人かつ女性としてはほぼ唯一、数多くの実績を残したSF作家であり、2006年に59歳の若さで亡くなった後にも伝説的な存在として広い読者を持つ。
「血を分けた子供」でヒューゴー賞、ローカス賞、ネビュラ賞を、「話す音」でヒューゴー賞を受賞。著書に長編『キンドレッド』、短編集に『血を分けた子供』がある。
 完全にジャケ買いです。赤、黒、白のビビッドでスタイリッシュな表紙にやられました。

「人間狩り」 フィリップ・K・ディック 仁賀克雄・訳
『読んでごらんなさい。「戦慄と面白さ」大賞は保証します』
                           菊池秀行氏
「絶対的悪夢の戦慄すべき象徴化」と評されるディック初期の短編作品群は、著者自らが語るように、後に長篇代表作の原型となるものである。廃墟を徘徊するミュータントの群れ、物質に奇襲される人間の恐怖、極限的なパラノイア状況など、ディック・ワールドの中核をなす自己と現実の崩壊の物語を中心とした選り抜き12篇に、本邦初訳、子供とロボットの交感とその悲劇的な結末を描いた「ナニー」を加えた傑作短篇集。
 元々フィリップ・K・ディックのファンだったので購入。スプーンとフォークが二本づつあり、かつ交差した不思議なデザイン、ブラックを基調とした装丁に魅かれました。ジャケ買いでございます。

「龍子(りゅうこ)第二巻」 エルド吉永
「命をかけて、修羅になれ。」
 宝島社『このマンガがすごい! 2024』オトコ編第13位。
「THE BEST MANGA2024このマンガを読め!」第4位。
「金印をめぐり激突する、龍子VS蛇青幇」業火繚乱の愛憎血戦、ここに決着!! 血墨飛び散るオール・アナログ・プロセス、「エルド吉永」という新表現。世界12か国で次々出版、本邦待望の第2巻! 
 
 前巻まであらすじ。血と硝煙の匂いに満ちた、中東の王国・フルセーヤ。「黒龍会」組長の龍子は黒海へと勢力を拡大する中、幼い頃に亡くした母の死の真相を告げられる。深まる謎は因果の果てに。それぞれの善、それぞれの悪。修羅の舞台は日本・横浜へ――。
 オール・アナログ・プロセス、怒涛の筆致で紡ぎ出される、”愛”そして”義”をめぐる親と子の物語。

 第2巻のあらすじ。囚われの仲間を救うため、駆けつけた龍子を待ち受けていたのは、かつてアフガニスタンで出会った少年・ハリムだった。
 受け継がれし謎の金印と、奪取を狙う巨大組織「蛇青幇」。幾重の因果にいざなわれるまま、龍子は亡くしたはずの母を訪ねる。
 明かされる過去と血の呪縛、誕生と死亡、悲しみのカルマ・・・そして導き出された「答え」とは。

 全編手書きで繰り広げられる、ハードボイルドアクション。龍子さんがカッコよすぎる。実写ならシシドカフカさんが適役か。クールでホットな魅力あふれる最強ヒロイン。どこか懐かしく、骨太な作風は漫画界広しといえど、異彩をはなってます。おすすめ。

<書くことが浮かばないとき>
 私の持病ですね。最近、発作の頻度が多くて困っております。それでもなんとか捻りだす。「絶対に毎日note生活を欠かしてはいけない」という使命がある。だから諦めない。質についてはそこそこ諦める。
 これを粗製乱造という。いい加減な作り方の質の悪い製品を、むやみやたらに数多く作ること。「粗製」は粗末な作り方、「濫造」は無計画に大量に物を作ること。「濫」は「乱」とも書く。そこまで言わなくてもと思ったが、記憶の糸を手繰り寄せてみると、「ああ、これは酷い」そんな感想が浮かぶ。そんな自分に嫌気がさしていたが、最近、この愚行に光明が見えている気がする。
 どれだけ思い付きのトピックであろうと、まるで『ガキの使いやあらへんで』のフリートークのように、面白くなってしまえば無敵であると。文体の魅力を磨く機会であると思いなおし、前進するべきでは? そんな結論に達したが、ただの現実逃避である可能性が濃厚である。
 濃霧に包まれたせん妄気味の脳髄が、何を語るというのか。
 エッセイの(自分が感じたことや、体験したことなどを自由な形式で書いたもの)体を成していないのでは?  
 立ちはだかる創作の高い壁。正攻法で進歩しようとしない、怠惰な精神。ああもう止めたい。この『書くことが浮かばないとき』なんて早く投げ出したい。匙を神の雷(いかずち)がごとく勢いで投擲したい。
「書くことがないのに書き続ける」という人類未踏の地を行く私。それはもう無意識下まで潜り込んで、空を掴む思いを幾千と繰り返す。修行に近いと言える。待て。毎日note生活は修行である。
 積めよ修行。舐めろ艱難辛苦。しゃぶれ如意棒。人間、諦めなければ自然と書けるものだ。逃げないことさえ決めてしまえば、後退などあり得ない。逃げ道なんて用意してるから、駄目なのだ。
「もう限界。クレイジージャーニー。まだ松ちゃん、テレビに出てる」
 迷走の常習犯の私と、ギリギリ吉本興業の松本人志氏の未来は如何に――
 

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