徘徊物語

 三十代前半の年回りの青年は家賃を滞納した末、アパートを追い出された。からっ風も切れ味を増す容赦なき極寒の冬、路頭に踏み出すことになってしまった。ボストンバックに己の全て(荷物)を詰め込んで。
 されど行くあても、頼りになる人間もいない。天涯孤独で天外魔境な状況でも、腹は減る。残金はなけなしの三万円。諭吉二人に、樋口一人に、野口四人で小銭こんもりである。それらをどう扱うによって生存確率が大きく左右される。背に腹は代えられないと、吉野家にはいって、牛丼特盛と豚汁で
しめて1073円。えらく贅沢だが仕方ない。
 御国の世話になるつもりはなかった。それは男として最後のプライドであった。人様の金にすがって糊口をしのぐぐらいなら、富士の樹海で獣の糧になるほうがマシだ。そてどうする。とりあえず腹は満たされた。
 シャワーでも浴びて、眠りにつきたい。我慢は体に悪いと、ネットカフェに入店。時間は夜10時。12時間の滞在(大罪)で5170円。旅の始めから公園のベンチでは不健康、これも必要な出費である。適当に漫画を読み漁り、それも飽きてネットサーフィン。いい暮らし連中の自慢大会が目につき嫌になり、無料のシャワーを浴びてビールを呑んで眠りにつく。頭は冴えているので、夢の世界はまだ遠い。
 これからについて思案する。
 このままでは金はすぐに底をつく。さすればホームレス、それど缶拾いなど御免だ。ああいった連中とヨロシク馴染んだが最後、若者やモノ好きの襲撃に怯えながら溝鼠同然。かといって、日雇いタコ部屋生活などお断りだ。  今は働きたくない。
 そもそも家賃を滞納するほど困窮したきっかけは、パワハラの生みの親を思わせる同族経営の成れの果て、上司を拳で失神させてクビになったこと。 薄汚い町工場に毛の生えたような会社だった。従業員は薄給でこき使う癖に、自分たちは過大な役員報酬を家族で分け合いやがってと、恨みを募らせたのだ。
 今思えば少しは大人になって我慢し、転職でもすればよかった。時すでに遅し、人生は縄のごとしだ。そんなこんなでしばらく働きたくないでござる。気分はネオニートだ。されどこのままではいけない。どうする。
「殴られ屋、、、」
 痛いのはお断りだ。我ながら愚考極まりない。誰が好き好んで他人のサンドバックとなりて、冬。部屋を借りるころには病院送りになりかねない。
 待てよ。そうだ。
「売り専バー、、、」
 出口であり入り口でもある肛門様を労わってやまない俺が、そんな苦行をしてたまるか。人糞と友達になるつもりもない。三十も過ぎて新たな門<ゲート>を開くこともないだろう。
 待てよ。そうだ。
「物乞い、、、」
 犯罪だ。乞食だ。生活保護以下だ。なけなしの価値もない。そんなことをしたら最後、底辺の排水口にダイブしヘドロのチョコレート工場ワンダーランド空間に真っ逆さま。修行僧の真似をしても、直ぐにバレるだろう。
 青年は身の振り方について考えたが、いい考えは浮かばない。いい加減、眠りにつくことにした。
 翌午前10時。退店。さて、どうしたものか。
「こんな時は女に頼るものだ」
 漠然とナンパをした女の家にでも転がり込めばよい。そんな考えに支配された。ヒモをしながら仕事を見つければいい。そう思うと希望が沸騰寸前の湯の如く湧いてきた。偶然上下アディダスのジャージ、スポーティーなスタイルを生かし、ランニングしている女にでも声をかけよう。同じ趣味をしていると安心して、受け入れるに違いない。
 青年は颯爽と撃沈した。なんなら通報されかけた。なんて世の中だ。奴らに利他の精神はないのかと、叫びたくなった。叫ばなかった。羞恥心はまだ生き残っている。まだ煙草臭い五十代後半おじさん人間に堕ちる気はなかった。四面楚歌、背水の路頭、うっすらホームレスの可能性がパンツのシミのように現実味を増してきた。
 そして閃いた。一人暮らしのボケ尽くしてそうな老婆の家を訪ね、生き別れの息子を騙り居候したらいい。住んでいればあちらも情が湧く。そのうち仕事でも見つけて、あぁ駄目だ。警察に通報されて終わり、最近の老婆はしっかりしている。ドモホルンリンクルの力を借りて、生き生きアウトドアライフだろう。簡単に騙せるとは思えない。
 気が付けば、途方に暮れなずんでいた。夕日が赤黒く堕ちている。野菊のような凛とした貴婦人に拾われたい。田舎の大きなお屋敷で使用人として人生を終えてもいい。たまに貴婦人の夜の相手をしてもよい。腹ませたい。
 妄想の翼を羽ばたかせたものの、現実の冷たい風に押されて転げそうになった。思えばしょうもない人生だった。以下、略。
「御国の世話になろうかな、、、」
 男はプライドを、冬の澄み切った夜空に投げることにした。
 青年の心は晴れ晴れとしたものだった。優しそうな自立支援の非営利団体の真面目ヅラが浮かんだ。そいつらに身を委ねよう。もうそれでいい。
 人様に頼ってスタートラインを引こう。誇りはそれから取り戻せばいいのだ。
 

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