天ノ国

 逆走車が視界にはいったときには、遅かった。重い衝撃と、スクーターがアスファストを滑る音、天地がひっくり返り、意識が途絶した。
 目覚めると、役所の待合スペースのような場所だった。見回すと、同じようなデザインの作務衣を着た老若男女が、椅子に腰かけ何かを待っているようだ。名前が呼ばれると、十人程度まとめて、黒いスーツを着た男についていき、奥の両開きの部屋に入っていく。十五分ほどして出てくると、左側の扉に連れて行かれる人、右側の扉に連れて行かれる人に分かれた。
「私は死んだのか」
 そんな疑問を口にすると、名前を呼ばれ、黒いスーツの男に奥の部屋へ通された。他にも九人が並んで椅子に座り、前方を見やった。
 牧師の格好をした老紳士が、にこにこしながら直立している。
 ひとりひとり、人生の概要に対する評価が下された。ひとりを除いて、天国行きを言い渡される。ひとりは、殺人犯のようで、納得していない様子だったが黒いスーツの男に拘束、連れ出された。
 なんとも事務的で、非現実的だが仕方ない。その後、この建物を出て天国へ向かうらしいが、その前に英気を養うためと大浴場に案内される。浴場というより、巨大なプール。湯気がもくもくと視界を覆って、奥まで見えないほど。湯舟に浸かると、芯まで熱気がはいってくるようだ。
 思えばつまらない人生だったと、悔恨する。常に流されて生きて、自由意志に責任をもつこともなかった。ただ一つ自慢するとしたら、善良だったことくらい。ギャンブルも、酒も、女遊びもない。つまらないが、無難ではあった。天国行きも当然。もう将来への不安や、プレッシャーなんて考えなくていい。もう、死んだのだ。そして、天国へいく。
 きっと、毎日のんびりして、景色のいい綺麗な建物に住み、美女に囲まれて、美味しい食事。これを機に酒でも呑んでみるか。
 男が妄想に羽を広げていると、さっさと出るようにと促され、作務衣をきて建物の外へ出される。そこは、背の高い針葉樹がひたすら生い茂り、そのせいか道は暗く、空気も澱んでいるようだ。
 数百人が集まるなか、黒いスーツの男が言った。
「この森をひたすら進んでください。地上時間で三日程度も歩けば、天ノ国に到着します。ただ、監視しています。道を外すようなことをすれば、地獄行きです。では、進んでください」
 黒いスーツの男はそう言うと、建物に戻った。
 その後起こったことは、目を覆うような凄惨さを極めた。体長三メートルほどの獣に襲われ倒れる者。流れの早い川を渡り切れず、流される者。絶壁
では、我先にと他人を突き落とし、先を進む。
「これでは、地獄じゃないか」
 男はその後、何度も危機を乗り越え、満身創痍になりながらも天ノ国の門に辿り着いた。そこには、黒いスーツの男が先回りして立っていた。
「何故、こんなことをさせるんです」
 男がそう言って、黒いスーツの男が答えた。
「天ノ国には定員があるんです。淘汰された人々は、皆、地獄行きです」
 地鳴りのような音を響かせ、門は開き、中へ通される男。
「これでは、現世と同じじゃないか。天国はどこにもないのか」
 
 

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