マズイ珈琲を飲みに行く

 銀河の最果ての惑星エスに、居留地が点在していた。
 開発を拒むような流砂と岩石に覆われた辛気臭い世界が広がっている。ガスマスクと密閉度の高いボディスーツが無ければ、外出もままならない程、砂嵐が頻繁に発生していた。原生生物は、人類と遺伝子的に近いが、知能はべらぼうに低く全身をモップのような体毛に覆われていた。人語を僅かだが理解するため、一部人間の使役として働く個体、集団も存在するが、基本的に人間をみると襲ってくる。がっぷりよつの対立というより、散発的な惨劇といった様相。
 血と、砂と、岩と、風に支配された風景は殺伐としていた。
 テラフォーミングが終了したところで、開発していたベンチャー企業が破綻した。そんな、行く末うら寂しい場末の居留地に、ある男がいた。
 近く三十歳になる痩せ型で、父親に似て彫りの深い、面倒で髭を剃らず清潔感は底をうっている。名をカズマと言う。タバコが唯一の楽しみで、五階建ての入植民住宅で独り暮らし。寝息は静かな手のかからない子だった。
 早朝。
 カズマは巨大かつ広大なドーム型の居留地をでた。珈琲を飲むためである。中継衛星から遠いため物資の乏しい惑星エスにあって、めずらしく喫茶店のある居留地があった。週に一回、そこへ行きマズイ珈琲を飲む。それが入植して三年つづく習慣だった。
 中古のガスマスクと、前職の僅かな退職金で買ったボディスーツを着込み、砂に足をとられないよう慎重に進む。しばらくすると、自宅のある居留地とほぼ外観に差がないドームが出現した。手を壁にかざすと、奥に沈み、ドアが開きカズマをいつものように受け入れた。
 その喫茶店は、入植民住宅の一階にあり、他のテナントはシャッターが降りていた。店名は<リビドー>で、看板の文字は掠れてほとんど読めず、ムードも何もあったものじゃない。不躾なオーラが迸っている。
「こんちわー、どうもー」
 店内は古典的な純喫茶という雰囲気。かつてシックだった年季の入ったインテリア。カウンター八席、四人掛けのテーブル席が三つ。
 先客は、カウンターの一番奥の席にひとり。無意識に即身仏を実行しているようなジジィが、珈琲をすすっている。咽ている。こちらに一瞥する。
「レギュラーか。レギュラーだよな。レギュラーにしろ」
 有無を言わせず、レギュラー珈琲がでてきた。それを淹れた張本人であるマスターは、オクダと言う、五十代前半の大柄な男だった。不愛想で、面倒くさがりで、眼光の鋭さだけで生きているような人柄。
 カズマはいつものように角砂糖を三つぶち込み、コーヒースプーンでかき混ぜる。薄いうえ、誰かの家のような臭いが微かにする、そこはかとない不快感を帯びた珈琲をまともに飲む。そのための角砂糖だった。糖分が、喧嘩の絶えない夫婦における子供のように、その味に安定をもたらしていた。
「おい。調子はどうだ。仕事は見つかったのか」
「いや、工場が停止してるだけだ。待機中だ。無職じゃない」
「同じようなもんだ。どうせ、この星もそのうち閉鎖。みんなお払い箱だ。地球に帰ってもお前じゃ仕事にありつけねぇだろ」
「マスターこそ。俺より20以上も年上のジジィだろうが」
「俺は実家が太いのよ。生活するには問題ないのだ、お前のような途卒とは違って、大卒だからな」
「なんとか見つけるさ」
「コイツの方が、お前よりデキるぜ」
 マスターのオクダが指さすさきに、R2D2に手足が生えたような、路地裏のゴミ箱が如くロボットがいた。確かに、見事な手際でコーヒーカップを洗い、掃き掃除を片っ端から行っている。ガタガタ音を立てながら、カズマに近づいてくる。
「マダ生キテイタノカ、シブトイ奴ダ」
 マスターに似て、無礼だった。不快な薄い苦みを砂糖の甘さで包んだ汁をすすりながら、カズマが思案した。
 マスターの言うとおり、この惑星で過ごす時はそんなに長くないかもしれない。開発は困難を極め、主導していた企業は破綻し、新たな買い手はつかず宙ぶらりん状態。加えて<奴ら>に襲撃される事件や、奴らの働く植物工場で原因不明の爆発事故の発生、居留地の乗っ取りが起きている。
 治安を維持する警察隊の人員はジリ貧、応援要請も梨のつぶて「現有戦力でなんとかしろ」と、突き放される。そんな状況で、この惑星に未来などあるのか。すでに地球や火星に帰還した一団もいる。冷静に考えれば、自分から帰るべきだが、何せ、カズマには金がなかった。
「マスター。何か金になる話はないか」
「無いね。強いていうなら、トクさんならイイ話があるかもな」
 即身仏風味のジジィが、こちらを見ている。微かに口元が笑った。カズマはトクさんの隣りの席に移動した。
「何でもするんで、何なりとお話を」
「おい。トクさんの声帯はオンボロなんだ。気を使え若造」
 マスターは紙とペンをトクさんに渡した。震えているにもかかわらず、達筆な筆跡でメッセージを書くトクさん。
<となりに棲む「奴ら」が夜中煩くて困っている。黙らせてくれたら、金一封を進呈しよう>
「分かりました! なんとかしましょう!」
「うるさい。トクさんの耳は健康そのものだぞ」
 トクさんは顔をしかめ、さかんに震えていた。カズマは今夜、奴らと話をつけると約束し純喫茶リビドーをあとにした。

 トクさんの住む入植民住宅は、この居留地の外れにあった。十階建ての三階にあるトクさんの部屋へ行き、挨拶を済ませ、さっそく隣りの部屋のドアに耳をあてた。しんとした静けさが耳を素通りする。不在か。
 と、ドアに鍵がかかっていないのか、あっさりと開く。
 その瞬間。鼻がもげるかと危機感を感じるほどの悪臭が、襲い掛かってくる。獣か、何かの死体でもあるような、野性味のある臭い。
「なんだコレ、くせぇ、どうなってんだ」
 電気をつけると、台所のテーブルに三体の『奴ら』が突っ伏していた。顔の下にはスープ皿がある。
 人間と変わらない体躯をモップのような体毛が覆った姿は、可愛げのない羊のようで不気味だった。所々から黒い液体が漏れ出て、明らかに腐乱している。たまらず電気を消して、部屋を出、ドアを閉めた。深呼吸をして、一段落し、トクさんの部屋のドアをたたく。招き入れられ、台所の奥の居間に通された。
 よく整理整頓された六畳程度の和室。ちゃぶ台を挟んで、座布団にカズマは慣れない正座をする。
「何があったんだよ、トクさん」
 トクさんはチラシの裏にペンを走らす。
<思い出した。注意しても騒ぎを止めないから、毒入りスープをご馳走したのさ。静かになったと思ったら、今度は臭くて敵わない。なんとかしてくれ。金一封を進呈しよう>
「やってみるけど、トクさん何者だよ」
<ただの元軍人さ。独自ルートがあって、奴らに利く毒を仕入れたのさ>
 カズマは底冷えのする恐怖感を抑え、前払いで金一封を受け取り、部屋をあとにした。
 早朝。
 ガスマスクとボディスーツ姿で再訪し、台車に一体づつ乗せ、住民の警戒と不快の目線をかいくぐり、借りたトラックに載せていく。上からブルーシートで覆い隠し、居留地を出る。それまで警察隊に止められることもなく、あっさりとしたものだった。
 砂嵐の中、人気のない峠でトラックを停車させた。無言で崖下に『奴ら』を突き落とし、運転席に戻った。計ったように砂嵐は収まり、珍しく、爽やかな青空が広がっていく。
 カズマは煙草に火をつけた。煙をくゆらす。それは久しぶりに穏やかな朝だった。何か一つ決意ができそうな、そんな気分だった。居留地の外れの公園でトラックの荷台を洗い、自動運転で返却した。
 そのまま純喫茶リビドーへ向かう。マズイ珈琲を飲みに。
「レギュラーか。レギュラーだな。レギュラーにしろ」
 カズマは角砂糖を三つ入れ、コーヒースプーンでかき混ぜ、口にする。
「地球に還る」
「金はどうする。文無しだろうが」
「借金してでも還るさ。夢は終わりだ。身の丈をしっかり測ってみるよ」
 路地裏のゴミ箱のようなロボットが、いつものようにガタガタ音を立てながら仕事に励んでいた。
 カズマの顔に柔らかさが戻ったようで、マスターのオクダも釣られて穏やかな表情をみせた。
 
 
 
 
 
 

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