夢想衒学奇譚

 なんのこんちゃ。
 響きだけで決めたタイトルで文章の虚空を行く金曜日の夜、切羽詰まって見切り発車でどこに辿り着くのかと、手探りの極地をいく。
 すでに脳髄は湿り気をなくした豆腐のようで、瀕死の状態である。 
 とりあえず、三つの単語の意味を調べてみよう。
『夢想』
 夢の中で思うこと、夢に見ること。夢のようにあてもないことを想像すること。空想すること。夢の中に神仏が現れて教えを示すこと。
『衒学』
 学問や知識をひけらかすこと。学問を鼻にかけること。ペダントリー。
『奇譚』
 珍しい話。不思議な物語。
 つまり、
「あてどない空想に基づき、知識をひけらかしながら、珍妙で不思議な話」
 なるほど。わからない。
 霞を喰う仙人は尊敬できるが、霞を文章とのたまう物書きは許せない。
 ここ最近のエッセイは、書くべきテーマを見失いがちで、三途の川にでも落とされたとしか思えないほど煉獄の日々です。
 テーマや空想の欠片をひとつひとつ積み上げていると、創作の鬼か悪魔が「いけるかも」と思った瞬間い蹴飛ばしていく。何事もなく立ち去り、小高い丘までのぼり、こちらをじっと見つめている。
 それでも私は空想の欠片を積み上げる。
 例えばこういう。
「豆腐男とか」
 絹ごし豆腐のように滑らかつるつるの肌で、ちょっとした衝撃で体はもげて崩れて、場合によってはぐずぐずになってしまう。
 ついでに白だしの汗をかく。美味そう。
 当たり前のように豆腐男が存在する世界で、その大豆っぷりを遺憾なく発揮し、その様子を現代人のメタファーとして描く純文学です。
 もう少し空想の欠片を積んでみよう。
「大人食堂」
 子ども食堂に対抗して。
 それ、ただの炊き出しでしょうが。
 終わってしまった。
「進撃の小人」
 その小ささは、気づかずに踏みつぶすほど。しかし戦闘力は折り紙付きで、全身が細かい穴だらけになって死んでしまう。もしくは、耳や鼻の穴から体内に侵入し、内部から攻撃される。対抗するために、正義の小人を体内に飼育し、進撃の小人に対抗する。
 人物は基本的に殺虫剤を散布したり、正義の小人にまかせっきり。
 つまんねぇな。
 と、
「夢想衒学奇譚」とタイトルをでっち上げ、
 単語の意味を調べて、空想の欠片を積み重ね、どこへ向かうかも決めず書き進めた結果、未だゴールは視界に入らず。
 才能の欠如、やる気の減退、満腹による倦怠感は如何ともしがたい。
 何故このような結果に至ったのか。
 責任者は私である。
 どうしてくれよう。
 ともかく1,000字を越えたわけだが、如何せんボリューム不足であり、夢想を持続させ、文章が滑りだすことを祈るほかない。
 祈りが通じるほど甘くはない。
 闇に光りを見出さんとする愚考に裏打ちされし愚行に、ほほ笑む女神など存在せず、代わりに、怠惰を司る死神が冷笑している。
 そして、死神の懐にはいろうとする私。
 あっさり首をかかれる私。
 頬を伝う涙、首伝う鮮血、混濁する意識、奈落へ滑落する魂。
 もう駄目だ。
 もうやめたい。
 夢想は虚しく、ひけらかす知識にとぼしく、奇譚を書くセンスもない。
『夢想衒学奇譚』
 なんてタイトルを思いついたがために、こんな煉獄を味わう羽目になってしまった。
 唐突にウンコをしたくなった。
「はい。脱糞します」
 スッキリしたと報告する気まずさ、くだらなさ、やるせなさ。忸怩たる思いを吹き飛ばす知性をひけらかしていこう。
 いくぜ。
『飛鳥尽きて 良弓蔵られ 狡兎死して走狗烹らる』
 意味は、事ある時に重用され、事がなくなると簡単に捨てられること。敵国が滅びた後は、戦いで手柄を立てた功臣も不要になって殺される。
 飛ぶ鳥もいなくなれば、その鳥を狙っていた上質な弓はもう使われずに片づけられ、賢い兎が捕まると、それを追いかけていた猟犬も最早用済みとして食用にされるという意味から、利用価値がなくなれば容赦なく捨てられるという教訓を含むことわざ。
「切ねぇ」
 そんな境遇の主人公が、抹殺される寸前で謎の男に助けられ脱走し、どこまでも追われる。そんな設定の小説、いくらでもありそうだが、惹かれるものがある。空想を引き出されたからこそ、メモしたのでしょう。
 出典はおそらく、町田康先生の『告白』と思われる。
 そして集中力は限界を遥かに超え、虚空をいくにも慣れたころに「やる気」は消沈する。
 夜に沈む。
 ヨルニシズム。
 あ、ペンネームにしようかな。
 いや、アーティスト名にしようかな。
 曲は書けないけど、短歌は詠ってるので、歌人名は『ヨルニシズム』にしようかな。
 いつ使う分からないけども。
 あ、もう終わるわ。
 

 
 
 
 

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