永遠に灼熱すぎて

 気温上昇の速度が指数関数的に上昇し、人類は地下に潜るほか無かった。地上での活動は冷却スーツが必須。あまりの酷暑によって、地上の植物や動物は次々と絶滅してしまった。
 青年は地下で生まれ、ほとんど陽の光り知らずに育った。
 地下世界の果てしない迷宮の修理を担う職人として生活していた。
 汗を作業服の袖で拭い、仕事を切り上げ、自宅に帰ることにした。
 同じような労働者やロボットたちは皆、雰囲気が暗く、出口のない毎日に辟易しているようだった。
 青年の住む区画は、地底湖を越えた先にあり、毎日その冷たい湖面に足をつけて、雑貨屋で購入するアイスコーヒーを飲むのが日課だった。
 青白く仄暗い、光といえば淡い照明のみ、静謐に満ちたこの空間が好きだった。デバイスが時間を告げ、急いで靴を履き帰途についた。
 ドアを開けると、辛気臭い空気が流れ込んできた。
 出迎えたのは祖父だった。
 パリっとした白シャツ、綺麗にタックの入ったスラックス、丸縁メガネの清潔感ある格好は、役所勤めが長かったせいらしい。
「仕事はどうだった」
「変わらないよ。この辺のエリアは老朽化が進んでるから、いくら修繕しても終らない。ほんと嫌になるよ、地下は」
「仕方ない。地上は地獄だ」
 地上へは一度だけ行ったことがあった。
 特別な許可をとり、冷却スーツで半日ほど徘徊したのだ。当然、人影もなく、空気は揺らめき、苛烈な太陽光は、かつて人がひしめいたビル群を溶解する勢いだった。活動限界を迎えて帰ってくる頃には陽が沈み、猛烈な暑さが襲ってきた。
 スーツの機能が停止し、僅か十分の間で青年は意識を失う寸前になり、地上の過酷さに衝撃を受けた記憶があった。
 食事の時間、祖父は静かだった。
 配給の人口肉のステーキと、植物工場で育った玉ねぎのスープを平らげて二人は食事を終えた。
「そういえば、政府から重要なお知らせがあるらしいよ。ホラ、もうそろそろだ」
 青年はデバイスを操作し、壁に映像を投射した。
 二人はソファに腰かけ、それを見守る。
 政府の報道官が、お馴染みの会見場にあらわれた。
 ここ最近の地下世界での出来事や、事件について言及したあとに、それを話し始めた。
「地上への帰還が、現実のものとなります」
「長年の研究により、地球全体の冷却、気温の低下といったテラフォーミングが可能となりました。今後数年で、段階的な帰還を進めていきます」
「空を取り戻すのです」
 青年と祖父は、
 あまりのことに反応に困っていた。それと同期するように照明が点滅しはじめた。
「蛍光灯の予備、切らしてる。買ってくるよ」
 祖父は会見の内容についてデバイスで検索し、「分かった」と小さく返事をして眉をひそめた。
 青年は雑貨屋へいく道中、
『地上への帰還』について考えた。
 役目を果たしていればいい地下世界は終わる。祖父に聞いたような、競争社会に馴染めるだろうかと、不安に苛まれた。
 急激に心臓を締め付けるような感覚に襲われ、つい、その場に座り込んでしまった。
 街中は先程の”重要なお知らせ”の話題でもちきりだった。
 雑貨屋に着いてからも上の空。
 蛍光灯をレジに持っていき、店主の高齢女性に話しかけた。
「政府の、あの話、もう聞きましたか」
「聞いたよ。途方もない話だ、本当にできるのかね」
「どんなかんじでした? 地上は」
「どんなって。普通よ。働いて、学校に行って、空は青くて」
「そうですか」
 青年はそれ以上話を聞かず、整理しきれない頭を引きずって家に帰り、蛍光灯を交換して、眠りについた。
 翌日、青年は仕事を休み、
 冷却スーツを装備し地上にいた。
 雲一つなく容赦なく広がる青空、
 ゴーグルに遮光機能が無ければ網膜が焼けつくほどの日光、
 風が運ぶのは脳を麻痺させる猛烈な熱、
 生物の活動を完全に拒否するこの世界が、人の住む世界に戻るとは、どうしても現実と思えなかった。
 経験のない『普通の世界』が腑に落ちず、そこには不穏さしかなかった。
 沈みゆく太陽が、初めて地上に出たあの日を思い出させた。
 あの時の感傷も、ふと甦った。
「地下世界で充分だ。地上の自由なんて、自分には荷が重すぎる」
 青年は、止めどない現実に心を揺さぶられながら、地下世界に戻るしかなかった。
 
 


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