ワンソース・マルチユース

 とは、ひとつの素材(=ワンソース one source)を複数の用途(=マルチユース multi use)に用いるという意味で使われる。
 出版、Web等のメディア関係では、ある媒体用に収集・製作したテキストや画像・動画、デザインなどのデータを用いて、新たに他媒体を制作するような場合を指す。
 いわゆる素材の流用や二次・三次利用も含まれる場合もあるが、考え方としては、構造化されたデータやデーターベースなどを利用した情報の一元管理や企画設計段階からの多元的利活用を前提としたワークフローなど、よりトータルな概念で用いられることが多い。

 この考え方をショートショートに流用します。
 昨日、投稿した『鈴木遊弋』は、鈴木という男(20代中盤から30歳ぐらい)が目覚めると、世界が水没して、文明が沈んだ大海原を遊弋する話である。それはもう一人っきりのセカイ系(多分誤用)なやつです。
 この「鈴木」くんをひとつの素材と見立て、複数の用途=ショートショートにしていく。つまりシリーズ化である。
 
 例えば『鈴木大冒険』なら、何かの間違いで、選ばれし勇者にしか抜けない伝説の剣を抜いてしまい、嫌々、魔王討伐の旅に出発したはいいが、結局バックレちゃうとか。
 
 例えば『鈴木遭遇』なら、コンビニ強盗に偶然、遭遇してしまうが、映画のように撃退することもなく、かと言って逃げる勇気もない。しかし、店員の女に下心を抱いているため、主に性欲を原動力に、あらぬ方法で強盗犯に挑むと決意し、実際には行動に移さず、普通に通報する。それに気づいた強盗犯とトムとジェリーになって、とか。
 
 例えば『鈴木暴発』なら、中学生時代にもう我慢できなくなって、同居する姉の下着で「致して」しまい、それが癖になり、案の定、その行為が、最悪のタイミングで発覚して地獄を見るとか。
 
 「鈴木くん」をつかって、いくらでもショートショートを作れる。
 いまだ検討中であるが、毎週木曜日は『鈴木――』でシリーズ化してやろうかと思案している。つまり連載。一話読み切りの。
 これは面白くなりそう。そんな予感がする。何より一枠埋まれば、それだけで相当に楽である。
 舞台は現代でも、幼少期でも、未来でも、ファンタジー世界でも、異空間でも、なんでもありだから発想もやりたい放題できる。
 事実、昨日の『鈴木遊弋』は書いていて、そこそこ楽しかった。
 書いてるこっちが楽しくなければ、読者が面白いわけがない。そんなわけで、今からネタを作っていこう。備えあれば憂いなし、だ。
 
 ここで元ネタを白状しておこう。察しが良く、サブカル糞野郎であれば当然分かるだろうが、
『鈴木爆発』だ。
 これは、2000年7月6日にエニックス(現・スクウェア・エニックス)より発売されたプレイステーション専用ゲームソフト。
 本作は、ごく普通の女性・鈴木(演・緒沢凛)が、身の回りのもの全てが爆弾の世界で爆弾解体を行うといおうパズルアクションゲームであり、キャッチコピーには「彼女が出会うあらゆるものはすべてが爆弾」とあるほか、公式には「爆弾を解体するゲーム」とのジャンル表記がある。
 実際にプレイしたことはないが、存在は知っており、不思議な世界観に魅かれていた。この時代は変わったゲームが多かったと記憶している。
 まだまだネットの黎明期、パソコンも携帯も持っていなかった。
 おっと、話が逸れてしまうところだった。
 何にせよ、どこから『宝物』が降ってくるか分からない。まだ宝かどうかはわからないが、野生の勘が、『鈴木――』シリーズは面白くなると言っている。そう信じたい。そう思いたい。そう、願っている。
 もう考えるのは止めだ。
 想う限りに暴走してしまえばいい。鈴木シリーズに関しては。自分が面白いと思うことを、真正直に、全力投球でぶん投げてやればいい。
 それはもう清々しい程の投げ槍さで、いっぱしの文士を気取り鼻持ちならない軽薄さで、結果的に面白ければ何でもいい。
 小説なんて、「面白いか、つまらないか」の一元論でいいのだ。
 ワンソース・マルチユースを胸に刻んで、そろそろ、もういい加減、どうにかしてこの文章を終わらせる。
 なんて書いていたら、世界の終わりな気分になってきた。別ウインドウでユーチューブひらいて、『breakcore mix for insane』なんて流してんだからなぁ。なんて纏まりのない駄文だろ。嫌になっちゃうな。
 安部公房の『鏡と呼子』のつづき(R62号の発明・鉛の卵より)読んじゃお。読み終わりました。次は『鉛の卵』です。
 と、いうことでまた明日。最善は尽くしてやるつもりですよ。
「つもり」です。確約はしませんぜ、悪しからず。

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