記憶検索

 ある日、エム氏の家に荷物が配達された。ぼんやりと仕事をこなすだけの、独身男。特に趣味もなく、流石にまずいと思い、若干怪しいサイトで商品を注文した。開けてみると、ヘッドギアと専用の記録媒体、取扱説明書だった。念入りに使用法を確認して、装着、接続してみる。
「なんだか、頭がもやもやするな、、、」
 しばらくすると甲高い音がなり、記録媒体にデータが転送されたようだ。効果について詳しく読んでみることにした。
〈記憶検索装置。貴方の記憶を自由に検索できる装置を開発しました。パソコンやスマホにソフトをインストールし、記憶媒体を使用すれば、記憶を画像や映像、文章で閲覧することが出来ます。これで物忘れからも解放され、あなたの人生も豊かになるでしょう〉
 エム氏はさっそく検索した。
〈小学生一年生、夏休み、海水浴〉画像、映像、文章が一瞬で表示される。
 幼少時からよく行っていた海で、両親と姉と砂遊びをしている画像。映像には、浅瀬から戻り、海の家で焼きそばを食べている家族の様子。旅行の出来事を簡潔にまとめた文章。
 記憶がありありと思い出された。これは本物だと、エム氏は確信した。

 その後は、仕事から帰るといの一番に記憶検索をする生活となった。幼稚園の、初恋の先生に寝かしつけてもらった記憶。初めての彼女とのデート、映画館にゲームセンターにいった記憶。高校時代、バスケ部の仲間と部室でバカ話をして、お菓子とジュースでささやかなパーティーをした記憶。
 しばらくして、テレビを観ていると、或る報道が流れた。アナウンサーが神妙な面持ちで喋りだした。手には、エム氏に送られてきたヘッドギアと同じものがあった。
「これは、番組スタッフが注文し、送られてきた記憶検索装置です。人の記憶をすべて引き出し、記憶する、便利なものです。しかし、同時に、他人の記憶をも盗めてしまうのです。これは法律で禁止された装置で、買ってしまった人は役所に連絡のうえ、届けてください」
 エム氏はもう使ってしまったと思いながらも、人に使うことができるのかと、そんな発想はなかったと気付いた。
 しかし、そんな素直に届ける人間がいるだろうか。画面にはコメンテーターが訳知り顔で装置について話している。
「それにしても、恐ろしい装置だ。使われたら何も隠し事はできない。人にはひとつやふたつ、世にだしたくないこともある。それをすべてつまびらかするなんて、破廉恥極まりない」
「とんでもない。私の学生時代なんて、見せられたものじゃない」
「私もですよ。今の奥さんとは大学時代からの付き合いですが、若気の至りで色々ありましたし」
 アナウンサーも、コメンテーターも眉間にしわを寄せている。
「自分も忘れている、恐ろしい記憶もあるかもしれない。奥底にしまって、普段は全く触れないようにしている」
「触らぬ神に祟りなし。なんて言いますしね」

 なんて刺激的な装置なんだ。ぼんやりと、ただ惰性で生きていた自分にとったら福音だ。一方で、人の記憶をすべて把握するなんて、罪深い。
 装置を眺めているうち、エム氏は自分の人生について回想した。これといってパッとせず、楽な方に流された、ろくでもないものだった。そのせいで、女にも逃げられ、友人も離れていった。少しぐらい、試してみてもいいのではと思った。別に、ネット上に情報を流す訳ではない。まして、それをネタに脅迫することもない。ただ少し、他人の秘密を見て、楽しむだけだ。
 いちど傾いた気持ちは転げ落ちるように、勢いを増し、エム氏はそれを止めることは出来なかった。
 部屋をヘッドギアとともに出ると、駅に向かった。電車に乗り込むと、居眠りをしている若い女性を発見した。まわりに人も少なかったので、エム氏はヘッドギアを女性に装着し、無事、記憶データを取り終え、次の駅で降りた。その瞬間、高揚感と動悸に打ち震えて、頭が完全に真っ白になった。

 記憶検索装置を開発した研究施設の一室で、開発者とその助手が会話している。開発者はにっこり笑った。
「きみに手伝ってもらったあの装置が、世の中の役にたっているようだ」
「どれくらいの人間が、他人から記憶を盗んだでしょうか。簡単に他人にヘッドギアを装着できるとは思えません」
 助手が言い、開発者が答えた。
「何にせよ、あの装置を他人に使った瞬間、自身の記憶が完全に消去される。他人の記憶を覗くために、突飛な行動をとるような不埒で、身勝手な人間がずいぶん廃人になったはずだ。いい世の中になるぞ」

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